【3・11…あれから10年】

震災直後に東北入りしてから、○日後、○年後、と節目節目で東北を取材、特番を放送してきた。

新潟県中越地震、スマトラ島沖地震(共に2004年)など、数々の震災や津波の現場を取材してきた。もちろんそれ以外の現場取材も含めて、テレビディレクターとしての経験は豊富な方であるという自負があった。

新潟では震度7を記録した町を目指し、豪雨の中を飴のようにひん曲がった道なき道を何時間も歩いて、被災者の声をいち早く取材したし、スマトラ島沖地震では、死体がゴロゴロと転がる地獄のような現場も取材した。必死になって行方不明の家族を探す父親、母親の想いにも触れた。

そんな「極限状態」とも言える現場を「踏んで」いたのにも関わらず、「10年前の東北」の現場では本当に足が震えてしまった。いや、竦んでいた、と言ってもいいだろう。

これは比喩表現でも何でもなく、本当にガクガクと震えていた。
自分の目の前の光景が、かつて足を運んだことのある東北と同じだと、俄かには信じられなかったということなのだと、今では思う。

数え切れないほど多くの方々の取材をさせて頂いた。中でも印象的だったのが、赤沼ヨシさんだ。

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大正6年10月26日生まれで、最初に出会った取材当時93歳だった。
何かと不自由な避難所暮らしを強いられているものの、至って元気で明るい様子。昭和8年の大津波の後と比べれば、天国のような暮らしだと朗らかに話す姿が印象的だった。

それもそのはず、聞いて驚いたのだが、当時は救援物資もろくに届かず、雪が降り続く中で、掘立小屋を建ててムシロに寝ている人も多かったという。食べる物も殆どなく、ごく稀に手に入る握り飯も寒さのためにカチコチに凍り、また着る物もなく、ただひたすらに救援を待つ日々。

遺体が片付けられることもなくあちこちに転がり、数少ない食料品などを人々が奪い合う光景は、まさに地獄のようだったという。

ヨシさんはこの田老の地で生まれ育ち、また父・堀子丑松さんは、明治三陸大津波の数少ない生き残りとのこと。首筋がチリチリするような不思議な感覚…。

【凄い人に出会ってしまった!】

…そう、テレビディレクターとしての勘が告げた。

「その時は、お昼を食べとりゃした。お昼さ、夢中になって食べとるところに、どーんというように盛り上がるような、横揺れに・・・立てないから四足になって玄関まで行きゃーした。変な地震だなぁ、とその時は思いやして、慌てて玄関に出りゃーした。」

その日、ヨシさんは遅めの昼食を一人で食べていた。

午後2時46分。

時計の針がその刻を指した瞬間から、ヨシさんは再び地獄の淵を覗くことになる。

高齢に加えて、方言もきつい。
何を意味するのか分からない言葉も多く、またなぜか廓詞のようなものが混じっていて、非常に聞き取りづらかったものの、そのひとつひとつがとてつもない価値を持っている事は十分に理解できた。僕は喰らいつくようにペンを走らせ続けた。(もちろんカメラは回っている)

「前の昭和8年のね、津波のようたれば、第一波が来て、それがまた引いてから、第二波が来たんでござんすが、今度の津波は一波も二波もねぇ。海が盛り上がったみたいに来んでござんますもんで・・・引き波も何にもないような・・・」

一言、一言振り絞るように語る、93歳の証言の重み。

「わだし、一生懸命走って10メートルも行かないうちに、ガリガリガリって音がして後ろを向いたら、波が防潮堤の上を3メートルだか、4メートルだか乗り越えて、波の上がキラキラ光りながら、こっちに来んだもん。昭和8年の津波の3倍はあるってピンときたでござんす。それから一生懸命逃げた。押し車を押して・・・。でもその車がいうこと聞がねぇ。」

今回の津波がいかに巨大なものだったか。
昭和8年時のそれの3倍はあったとヨシさんは語る。
もちろんそれは正確なものではないのだろうが、実際に2度の大津波を体験しているだけあって、言葉に迫力と説得力がある。

波というより、「のっ、と」海が浮き出てきたような感じ…
そう何度も繰り返すヨシさんは、逃げながら不思議なことに気が付いたという。

「昭和8年の時もその通り。誰も津波だ!という人は一人もいないでござんした。みんな無我夢中で山に登るんでございます。もう夢中になって声も出ない。津波で逃げっ時は、本当に誰もみんな何も言わないでござんすよ。隣の人も呼ばないでござんすよ。自分たちの命を守るのに一生懸命で。誰も津波だー、という人はないござんす。今度もその通りで・・・。」

津波てんでんこ。
大声で叫びながら逃げるようにと訓練されてきたにも関わらず、いざとなると言葉もなく、ただ黙々と逃げるしか術がなかった田老の人々。さらに過去の津波の恐ろしさを知らない人々の中には、のんびりと立ち話をしていてそのまま帰らぬ人となったケースも多かったという。

インタビューは休憩を挟みながらも半日以上に及んだ。
跡形もなく無くなってしまったヨシさんの家(があった場所)の前で、最後に僕は、散々悩んだ挙句に、こんな質問をしてみた。

—またここに住みますか?

ヨシさんの目が潤む。
聞いてはいけない質問だったのかもしれない…後悔の念がよぎる。

しかし、ヨシさんは力強く僕の目を見据え、こう切り出した。

「生まれた里で、生まれ故郷で終わりたいと思っておりんす。100歳まで生きたって、あと7年しかないでござんす。その人生をどうやって暮らしていくか…。それまでにこの田老がどう復興すべか、どのように変わっぺか、それも見ておきてぇす。やっぱり故郷は捨てられないでござんす。」

その時、ヨシさんの脳裏には、昭和8年の大津波から力強く復興した、かつての田老村の姿が蘇っていたに違いない。

また再び、全てを失い、何もかも無くなってしまったけれども、この田老は再び元の姿に戻ることが出来る、そう確信していたのだと思う。



そして10回目の、3月11日がやってきた。
残念ながら、ヨシさんはすでに亡くなり、10年後の田老を見ることはなかったが、見事に復興を遂げた。人々の住まいも高台に移ったが、日常も戻ったように見える。

今日、テレビや新聞紙上では「あれから10年」といった言葉が踊っている。しかし、それは単なる通過点に過ぎない。

東北の人々にとっては3月9日も、3月10日も、3月12日も、そしてその翌日もそのまた翌日も、辛く苦しい日々が続くことも、また現実である。

テレビにできることは、あの日をいつまでも忘れないように報道し続けていくことに尽きると信じている。そして、それが僕たちにできる、確かな復興への貢献だとも考えている。

株式会社メディア・ワン 代表取締役  奥村健太(2021年3月11日記)

【番外編】代表に聞いてみた!

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(三好眞子・2019年入社)がインタビュー!

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株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近ハマっているものは「呪術廻戦
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Q よろしくお願いします!
早速ですが、この業界に入ろうと思ったきっかけは?


A 元々は新聞記者になりたかった。書くのがすごい好きで、高校の時に同人誌出したりとか小説書いてたりしたんです。大学も文学部、日本文学専修にいってたんだけど、文字だけで伝わるように書くのって難しいんだよね。そんなことを思ってた時に、大学の先輩がこの会社にいて、人が足りないから手伝えって言われてアルバイトを始めて、カメラ持って色んな先輩にくっついて現場に行ってたの。

その時に「映像ってめちゃくちゃ面白いな」って思った。例えば、ワンカットの出来事を文字だけで伝えるのってすごい大変だけど、映像ならワンカットの中で物事が動いてる様子が一発でわかるっていうのがすごい面白い。それで映像の仕事がしたいなって思って、そのままずるずる入った感じ。

Q きっかけは「好きなこと」だったんですね。
では、この仕事を始めて一番大変だったことは何ですか?

A 経験が浅かったっていうのもあるんだけど、中国のチベット自治区ウイグル自治区、この二か所にロケで行った時は本当に大変だった。特にチベット自治区のロケの際には、目的地に向かってる途中に雨で道が崩れてしまって、すぐそこが崖っていう一本道を車がずらーって連なって立ち往生!いや「車」往生か。
「人民解放軍が来てなんとかしてくれるから待ってろ」ってことになったけど食べるものはないし、雨は降ってるし、落石もあるしで、このまま石がぶつかって車ごと落ちたら100%死ぬっていう状況。

Q 生死の境目ですね…。おいくつぐらいの時ですか?

A ロケが2007年だから、33歳くらいの時かな。ディレクターにはなってたけど、一回ニュースの現場に出向してから社内に戻って完パケの番組を作り始めた頃だね。
海外のドキュメンタリーを本格的にやるのって初めてくらいで、その現場の責任者として完パケを作るのも初めてだったから、精神的にもかなり大変だったなあ。雨で先に進めないし食べるものもなくて…。

Q どれくらいの時間立ち往生していたんですか?

A 二日間くらい。持ってきた水とか乾パンとかはあったんだけど、すぐに次の村に着くはずだったんでそんなに量はない。その時に中国人てすごいなって思ったことがあって、そこで商売を始める人がいるんだよ。カップラーメンを輸送していたお店の人が、カップラーメン作って何元ですよってやってるわけ!その場にあるものを利用してたくましく生きる中国の国民性をみた。
当時チベットってほとんどの場所が未開放地区に指定されていたから、よっぽどのことがない限り外国人が入れない場所だった。そういう場所に行ったことで人生のいろんな価値観が変わったし、死にそうにもなった。そこである意味生まれ変わったのかもしれないね。

Q この業種じゃないとなかなか経験しない出来事ですね。
今度は逆に、めちゃくちゃ楽しかったことを教えて頂きたいです。

A 基本的に楽しいっていうことは、現場でやってる時は無いね。

Q ないんですか!?


A めちゃめちゃ大変だから(笑)。最近はタレントさんが出るロケが多いから普通のホテルに泊まってるけど、スタッフだけだと民泊とか当たり前だし、山奥でのロケだとホテルなんてない。お湯が出るとか風呂に入れるとか三食食べられるだけで嬉しいなって、それはもう取材じゃなくて冒険だね。
ロケから帰ってきて編集してるときも大変だし、テレビ局のプロデューサーに無理難題を言われたりすると「こんな仕事二度とやるか!」って思うんだけど、でも終わると自然と忘れちゃうなあ。

Q 完パケた時にやっと楽しさが感じられる?

A そうそう。普通の観光では絶対行けないところに行って、見られないものを見て、会えない人に会って、普段食べないものを食べたりとか、汚いものも含めてよ?それをカメラに収めて、なかなかできない経験したなーっていうのが一つの作品にまとまった時は嬉しいなって。

Q 自分の経験の記録でもありますもんね。だけど、やってる最中は全然楽しくない、と(笑)。

A まったく楽しくない!けど、番組の放送後に視聴者から手紙やメールで感想が来るのはすごく嬉しいし、達成感も感じる。

Q 意外でした!
では、一番やりがいを感じるぞ!っていう瞬間はどこですか?

A 企画書書いてる時かな。あそこ行きたい、ここ行きたい、これ見たいっていうのを調べて書いてるときは超楽しい!もっと言うと、それが実際行ってみて、「違う」っていうのを知った時が一番面白いかな。ネットとか本とか現地に電話するとか含めて、リサーチしてるのってやっぱりどうしても古いんだよ。自分が行ってみて、事前情報と違ってる!ってひっくり返すのが、面白い。
特にボリビア行った時に、やけどの子いたじゃん?

Q 女の子でしたっけ?

A そうそう、女の子。あれなんか全然事前の構成案にない。ロケ中に突然「急患です!」みたいな感じでひどいやけどを負った女の子に出会って、主人公の医者の人が「お前そこの石ひっくり返してミミズ探せ!」って。「ミミズ!?」みたいな。で、ミミズをガンガン潰してやけどの傷口に塗るんだよね。
日本に帰ってきて調べたら、ミミズには炎症を抑える作用があるっていうのがちゃんと科学的に立証されていた。現場では「ミミズかよ!?」って思うけど、同時に「超面白い!」って思いながら撮ってるわけ(笑)。
構成にもないし聞いたこともないような話もあって、もちろん、人の不幸を喜んじゃいけないんだけど、あの時は「よっしゃ!!」って。

Q 伝えることがやっぱり仕事ですからね。
本当に色んなことを経験してきた奥村さんですが、これからやっていきたいなって考えてること、可能な範囲で教えて頂いてもいいですか?

A 今までね、日本を除いてちょうど50か国行ってるのよ。で、五大陸で言えば、南極だけ行ったことがない。南極を絡めた番組をやってみたいんだよね。
あとは、多分、地球の「地上」って、基本的に大体撮り尽くされちゃってて見たことない場所なんてほとんどないはずなんだけど、人間がそれこそ行ったことないところってもう、宇宙はちょっと置いといてですけど、あとは海の中か洞窟なんだよ。そこも行ってみたいかな。

Q 誰も見たことがない景色を見てみたい。いいですね、冒険家のような。

A 見たことがないものを視聴者に届けたいっていうのもやっぱりあるかな。今でこそスマホやネットで何でもかんでも見られるけど、それって誰かがそこに行って撮ってこないと見られないじゃん。そういう仕事がしたいなーと思ってるんだけど、コロナ禍がこんな風なんでね…。


Q 早く実現できる日が来るように、今は備えて…。
コロナ禍でも、ものすごく壮大な夢を持っておられる我らが奥村さんですが、代表として、我々メディア・ワン社員にひと言いただけたらなあと思うんですけれど…。

A メディア・ワンに入ってくる人たちって、お金を稼ぎたいというだけで来た人って一人もいないと思っていて、多分みんな、なんとなくやりたいことがある。
だからこそ、言葉は悪いけど会社っていう組織を「利用して」、周りの先輩とかを「うまく使って」、やりたいことをする、行きたいところに行く、それを仕事にする。要するに商業ベースに乗っかったクリエイティブにしてもらって、それを実現してほしいな。1日8時間労働って言われてるけど、それって一生のうちに換算したらほとんど仕事してるわけ。自分のやりたいこととか趣味とかを仕事にできるように「企む」、企画するっていう風に考えると、結構人生楽しいんじゃないかな。

Q ありがとうございます!
「企んでほしい」社員がそろったメディア・ワン、いいところはズバリどんなところでしょうか。

A 風通しは比較的いい会社だと思う。「これしたいんですけど」「あれやってみたいんです」っていうのを、年齢とかキャリアの垣根を取っ払って相談して実現していくっていう土壌は昔からあるので、それは一つのアピールポイントかな。
今はコロナ禍による制限があって物理的には動けないけど、頭の中の思考は自由だからね。どんどん想像力をめぐらせてもらって、来年くらいに向けて牙を研いでおいてください!

Q ありがとうございます。
最後に、少し遅くなってしまったんですが2021年の奥村さんご自身の抱負をお聞かせください!

A 今年は正直、コロナ禍の影響でまだ好き勝手出来ないと思う。だから来年に向けて勝負できるような感じに会社の番組制作のシステムを再構築したいなと思っていて、うちの一丁目一番地、つまり一番得意とする旅モノ、ドキュメンタリーを国内でもっと太らせて、来年以降海外に出られるようになった時に、さらにいいものが作れるようにしたいな。
あとは、ディレクターになってから20年くらい、ずーっとアウトプットで頭の中のものを出しっぱなしだった。枯渇する寸前で「やべぇな~」と思ってたんだけど、昨年はインプットができた年だったから、今年はそれを整理する年にもしたいね。

Q 「整理」ですか?

A そう。今まで自分の得てきた知識、企画書の書き方とか構成の立て方とかね。それを一回整理して、ディレクター予備軍の若手社員に残していけるといいなーって。

Q ぜひよろしくお願いします!

A 脈々と受け継がれていくものが、メディア・ワンの力になっていくからね。
今は来年以降に向けてしっかりと土壌を作っておく年かなと思っていて、コロナ禍に負けずにホップステップジャンプのジャンプができる、「ステップの年」にしたいな。

Q そうですね、高く飛ぶためにはそれだけ準備も。

A しゃがまないとね。

*****

未曽有の状況が続く中、虎視眈々と、力強く高く「ジャンプ」する瞬間を狙っている奥村代表。我々社員も、コロナ禍に負けず頑張ってまいります。

2021年も、メディア・ワンをよろしくお願いいたします!

【コロナ禍】で考えた【映像の未来・2020年度版】

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの代表取締役、奥村健太です。
随分と、ブログ更新をサボってしまいました…申し訳ございません。

「コロナ禍」で大変な状況が続いていますか、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

海外ドキュメンタリーを「一丁目一番地」とする当社も、モロに影響を受けていまして、番組がいくつも「制作延期」となってしまいました…。もちろん、世界的な広がりをみせる「コロナ禍」が終息に向かえば、直ちに「取材」「編集」「仕上げ」で「放送」できるように準備をしてはいます。とはいえ「延期」になった番組が一斉に「GO!」となると、それはそれで大変な事態なので、綿密な人繰りとシミュレーションを行っているところです。


(写真は2020年度入社式です。)

さて…。

「緊急事態宣言!」
「ロックダウン!」

などと物騒な文言がニュースを駆け巡り、新聞紙上を賑わせていますが、新たな年度がはじまった今日は「コロナ禍」で考えた「映像の未来」について記してみたいと思います。

新型コロナウイルス感染症については、「事態を甘く考えすぎ!」「それよりも経済優先!」…など人によって様々な考え方がありますので、そのこと自体には触れません。

しかし、「コロナ以前」と「コロナ以後」では、明らかに社会の在り方が変革すると考えています。最終的に「コロナ禍」が終息するのは、人類が集団で免疫を獲得するか、もしくはワクチンが開発されるかの、どちらかが成された場合のみですが、それがいつになるのかは誰にも分かりません。「ワクチンの開発には1年以上かかる」とも言われていますし、こと集団免疫の獲得については、それこそ何時になるのか…。数年かかるかもしれませんし、下手すると10年を超えるかもしれません。

こうなると、「コロナを倒す!」よりも「コロナと共存」する社会を考えたほうが良いかと。

今、世界各国はそれぞれ「鎖国」のような状況におかれています。人類が長年築き上げてきた叡智の結晶とも呼ぶべきEUの理念(「国境」=borderをなくす)が、国境封鎖であっという間に崩壊してしまい、それはそれでエラいことだなぁ、と思いますし、「コロナ」を防ぐための「関所」が、世界各地に設けられている現状は、「入り鉄砲に出女」…で有名な箱根関所が復活したかのようでもあります。

「関所」を物理的に超えることは、このグルーバル社会でも容易なことではなく、学業においても仕事においてもオンライン授業やテレワークなどが広がり、自宅で過ごす時間がこれまでより長くなる可能性は否定できません。

では、浮いた時間をどのように使うか…。
テレビを見たり、ユーチューブを見たり、オンデマンドのネット配信映像を見たり…もしくはゲームをする時間が増えるのかもしれません。とはいえ「コロナ禍」によって世界的な経済の低調が報じられる中、テレビCMやネット広告への企業の出稿も確実に減ると予想せざるを得ません。

これまで当社は、日本のテレビ局で放送されたり、国内の劇場で上映される映像作品の製作を中心に行ってきました。
しかし「関所」が復活して、物理的にも精神的にも人の動き、思考が阻害されている現在、逆にこの「関所」を超えてくる映像コンテンツが、世界中で求められていると考えます。

「誰が見ても感動する風景」
「誰が見ても共感することができる人物ドキュメンタリー」
「関所を軽々と超えていく、映像作品」

「コロナと共存」していく中で、この「BORDERLESS」な映像作品製作に邁進していく、これが「アフターコロナ」ではなく「コロナ共存」社会での、当社の役割だと信じて、活動して行こうと考えています。

以前のブログ記事でも書きましたが、日本の映像コンテンツ制作技術は世界でもトップクラス。世界中でロケのついでにたくさんのテレビ番組を見てきましたが、ホントのことです。その技術を余すところなく磨き、使った上での「映像コンテンツ」…どうぞ今年度もメディア・ワンの作品にご期待ください!

テレビ版2025年問題・世界の国境を歩いてみたら…の場合

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの代表取締役、奥村健太です。
急に寒くなったり暑くなったりと気候が安定しませんが、体調など崩されておりませんか?

さて。
今日はちょっと、ほんのちょっとだけ「テレビの将来」について考えてみたいと思います。
というのも、ここ最近、会社説明会(2019年度新卒採用はじまってます!)や講演などで、

「テレビって将来どうなるのでしょうか?」

と聞かれることが多くなってきました。
SNSや、週刊誌の見出しには「テレビ凋落」「テレビはオワコン」などの文字が踊ることも珍しくなくなり、寧ろそれをベースにして「テレビ」が語られることがほとんどとなっています。テレビを視聴する人の数が減り、それによって視聴率が下がり、広告出稿が減る、テレビ局の収入が減る、で、番組制作費が下がり、番組(コンテンツ)がつまらなくなって、更に視聴率が下がる(※以下繰り返し)という、俗にいう「負のスパイラル」です。

確かに日本人のテレビ視聴時間は減っていまして、総務省が大規模調査しているデータがこちら。

「平成28年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc262510.html

このデータをみると、テレビを見ている時間が最も長いのは60代以上だとわかります。テレビは年代が上がっていくにつれて視聴時間が長くなっていく傾向がありますね。ついでにネット利用については20代がもっとも多いことがみてとれます。個人的にびっくりしたのは、10代が新聞をほとんど読まなくなっていることですけどね。0.3分って、それ、触ってもいないってことですよね?テレビの将来よりも新聞の方が危ない気も。余談でした。

…ということを念頭においてテレビ番組の視聴者層を考えると、

■時間に余裕のある…(テレビをみる時間がある)
■しかも購買力のある…(CMを見て商品を買ってくれそう)
■60代以上!(視聴者区分でいえばM4、F4層)

が最大のボリュームゾーンであるということは、いうまでもありません。
拙書「映像メディアのプロになる!」(2010年発行)でもこの点に言及しておりますが、昨今のテレビ番組はM4F4層をターゲットにしたものが多いのも頷けます。
4月からはじまったBS11「世界の国境を歩いてみたら…」も例外ではなく、本格志向のオトナ、年配の方々に楽しんで頂けるような番組を目指しております(※こっそり宣伝)。

…なんですが、ここにテレビ版「2025年問題」が立ちはだかります。
社会保障の問題などで使われる用語ではありますが、簡単に説明すれば…

2025年の日本は、団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となります。
国民の30%が65歳以上、20%が75歳以上という、人類史上初の『超・超高齢社会』がやってくる、これが2025年問題です。

現在のテレビ視聴者層のメインである高齢者の方々が、歳を重ねて大往生されていく一方で、テレビを見る習慣のない層がどんどん増えていく…。高齢者の方々の購買力もどんどん落ちていくのは想像に難くありません。今の時代はもちろんだけど、2025年にテレビは一体どうなっちゃってるの?そんな時に高齢者「だけ」をターゲットにした番組を制作していて良いのだろうか?テレビマンであれば一度や二度は考えたことがある難題です。

実は、僕がテレビ番組を設計する(構成を書く、とも言います)時に一番重要視しているのがここです。
もちろん、視聴の最大ターゲットは高齢者であることは間違いありません。もうね、タレントさんたちがワーワーキャーキャーしてるだけの番組は見飽きちゃったんですよね、皆。そんな中で、僕たちが描こうとしている「本物」の世界、ドキュメンタリーを一番理解してくれるのが、この高齢者層であることは動かしがたい事実ですし。

ですが、それだけにとどまらず、同時に「おじいちゃんおばあちゃんと一緒に、孫の世代が見ても楽しめる番組」を目指すべき必要があると考えています。孫が「#国境ハンター、頑張れ!頑張れ!」と思わず応援したくなる番組、見終わったあとに「ベトナムとカンボジアの歴史というのはね…」「ねーねー、あれってどういう意味なの?」などと食卓の話題になるような番組、見終わったあとに「何か語りたくなる番組」…今ではほとんど死語になってしまった感のある「お茶の間」復活の一助になるような番組を目指すべきだと思うのです。僕がこれまで手がけてきた「封印された三蔵法師の謎」や「Earth Walker」などでもそうしてきましたし、実際にお孫さん、お子さんと一緒に見て頂けた方々も多かったようです。子どもたちからも手紙やメールがたくさん届いて、こっそりガッツポーズしたのを思い出しました。若年層が「テレビを見て面白かった」「あの番組を見て面白かった」という体験を持たずして、視聴習慣は生まれませんし、テレビというメディアのプレゼンスも決して高まることはないと考えています。

で、ここで冒頭の質問の答えです。

>「テレビって将来どうなるのでしょうか?」

広告宣伝媒体としてのテレビは決してなくなることはないと思います。テレビ以上に、「一度」に、「大量」に、「同時」に「同一内容」の情報を届けるメディアは今後も出てこないでしょうし、テレビを超えるものは存在し得ないと思います。

ですが、その中身=番組が、他メディア以上に高品質であるという保証はありません。若年層のネット視聴時間がテレビのそれより多いのは、ネットのコンテンツの方が面白いと感じているという、動かしがたい現実があるからです。われわれ番組の制作者は安易な映像コンテンツづくりではなく、「本物」、つまり誰でも楽しめる(誰でもわかるという意味ではありません)コンテンツをつくる努力を怠ってはいけないと考えています。「本物の番組」「本物の映像」を作ることができれば、市場は日本だけにとどまりませんし、そこには大きなビジネスチャンスも転がっています。いま「本物」を制作する能力、ノウハウを持つ制作者と制作会社はどんどん減っています。テレビ局に人材を派遣しているだけでは、ノウハウも蓄積されていきませんし、会社としての「戦闘力(制作力)」が上がることは決してありません。これを持つ集団、これを持とうと志向する集団は、今後間違いなく成長していくと思います。これだけは自信を持って良いのですが、日本の映像コンテンツ制作技術は世界でもトップクラスです。世界中でロケのついでにたくさんのテレビ番組を見てきましたが、これホント。

…ということで、
世界の国境を歩いみたら…
BS11にて毎週金曜日よる6時59分~(2時間近くあります)是非、ご覧ください。

BS11「世界の国境を歩いてみたら…」放送スタート!

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの奥村健太です。
今日は4月6日(金)から放送がスタートした「世界の国境を歩いてみたら…」について書いてみようと思います。

この番組はうちとフリーピットという2社の制作協力で「BS11」という、あまり馴染みのない、ぶっちゃけて言えばあまり知られていないテレビ局での放送となっております。いわゆるNHK、フジテレビやTBS、テレビ朝日、日テレ、テレビ東京などの「既存のテレビ局」の「BS局」とは違って、家電量販店のビックカメラ系のテレビ局となります。民放連にも加盟していますし、東証一部上場企業でもあるんですよ。…知らなかった人、手を挙げて!!

まぁでも、この稿ではBS11の知名度について書きたいわけじゃありません。そんなことはどうでもよくて、よくある既存の地上波の海外ドキュメンタリー「風」の番組とは一線を画した番組(「世界の国境を…」)が、どうやって誕生したのかということを声を大にして言いたい!のです。そんなBS11だからこそ実現した番組、それがこの「世界の国境を歩いてみたら…」ということを強調しておきます。言い換えればこの番組はこの局でしかできない番組である、とも言えます。

実はBS11は今年、開局11周年を迎えます。
11チャンネルが11周年。
そりゃ、なにかやるでしょ。
大掛かりに、なにか仕掛けるでしょ。
いつやるの?11周年のいまでしょ、的な。
ってことで大々的に企画募集が行われました。相当数の企画書が集まったと聞いておりますが詳細は知りません。ですが、バラエティからドラマから情報番組からドキュメンタリーまで、それはそれはたくさんの企画書が集まったであろうことは想像に難くありません。そんな中、1次選考、2次選考、そして大プレゼン合戦(←ネーミング適当)を経て採択されたのが、この「世界の国境を歩いてみたら…」なのです。この企画選考の過程というのは、それだけで本が一冊書けるくらい面白いのですが、それはまた別の機会に…。

さて、この「世界の国境を歩いてみたら…」。
これまで「国境の近くの街に行く」とか「国境を越えてみる」という類の番組は色々とありましたが、これはただひたすらに「国境」を「歩く(走る、疾走る、船で行くも可)」番組です。歩いてみたら実際には何もないかもしれないけど、それをネタにしちゃおうという。演出過多のドキュメンタリー「風」の番組と一線を画し、また大上段に「国境」をイデオロギーとか領土問題という側面からシリアスに捉えるのでなく、のんびり国境を歩いてみたら何が見えてくるんだろうか…という、言ってみれば「緩い」つくりで番組ができないかな…、それがこの企画の出発点でもありました。でも「国境」をリアルに撮るという意味では、今まで見たことのなかったような光景や、小さな村の人々に出会いますし、またこれまで「地味そうだから」という観点からテレビ的に「ネタ」にされてこなかった場所がどんどん出てきます。これぞまさしく「国境リアルエンターテインメントドキュメンタリー」。僕自身これまで50ヶ国以上取材してきた経験がありますが、そんな僕でも「こんなん見たことないわ!おもしれー!」と思わず声に出してしまうことも。そう…「国境」には未知なる驚きがたくさん詰まっていたのです。

実は演出過多、ってひとくちに言っても様々な「演出」がありますが、そこに共通しているのは制作サイドの「恐れ」です。

もっと視聴者に説明しないと、分かりづらいんじゃないか?
もっと丁寧にテロップを入れないと、チャンネルを変えられちゃうんじゃないか?
もっとガンガン音楽を入れて、ノリノリに仕上げないと飽きられちゃうんじゃないか?
もっと面白くしないと盛り上がらなくて、視聴率が下がっちゃうんじゃないか?

…という「恐怖」。
そこには、視聴者に判断を委ねるとか、視聴者に考えてもらおうとか、そんな目線は存在しません。ただひたすらチャンネルを変えられないように、視聴者に派手な映像とテロップで刺激を与え続ける、そう、ちょうど流行りのスマホゲームのようでもありますね。画面を通じて提供されるのは「てんこ盛りで美味しそうに見える幕の内弁当」かもしれませんが、果たして本当に美味しいのかどうか。その答えは「世界の国境を歩いてみたら…」を見て考えて頂ければと思いますし、その答えとなるような番組を作りたい、それがこの番組誕生のきっかけ、原点です。フリーピット社の盟友・赤坂ディレクターとそこから企画を練り上げていきました。BS11というあまり知られていない局、実際に新聞のラテ欄(テレビ欄)では端っこの方に載っているという存在感。でもそんなラテ欄の端っこから「テレビに、映像に革命を起こしてやろうじゃないか!」、そんな心意気でスタッフ一同、頑張っております。番組を面白く見て頂き、その結果、視聴者にとってBS11というテレビ局の印象が、なんかちょっとこの局すげー!となり、このBS11っていうテレビ局、面白いな…となって貰えればこれ幸いです。一番嬉しいのは、たくさんの視聴者の方々に見てもらって「面白かったね!」「良い番組だった」と言っていただくことですけれども。

この番組のナレーションを担当して頂くのはピエール瀧さん。しゃべる分量は必要最小限にしてありまして、基本的には出演者と取材対象者の同録でストーリーが進行していきます。ところどころピエール瀧さんのツッコミが入りますが、これが自分でいうのもなんですが面白いんですよ、いやホント。BGMもそれほどつけていません。説明しないとわからない歴史とか時代背景についてはテロップなどで補足していますが。旅人=#国境ハンターと一緒に旅をしているような、そんな番組を目指しています。

次回放送は【ベトナム×カンボジア】
4月13日(金)よる6時59分~(2時間近くあります)どうぞお楽しみに!
 

2018年度メディア・ワン始動!

おはようございます。
株式会社メディア・ワンのディレクター兼プロデューサー兼代表取締役の奥村健太です。
(※なんだろう、この肩書…)

ちょっと前の話になってしまうのですが、今年もちょいと派手に入社式を執り行いました。
今年度の新入社員は6名。
いわゆる派遣を専業とする「テレビ関係の会社」ではなく「制作会社」としては結構な数です。
(※ちなみに離職率が高いというわけではないです。むしろ業界では低い方。)

これだけの人数を採用できるということは、
それだけ「仕事」=「番組」が多いということなので、
経営者という立場から言えば有り難い反面、
もしその番組が打ち切り終了となった場合のリスクを考えると…。

社内での制作番組のために、大人数を抱えていることへの恐怖心は
制作会社のそれなりの立場の人間なら一度は味わったことがあると思うんですよね。

常に企画書を書いて、
常に企画を成立させて、
常に一定レベル以上のクオリティで番組を仕上げ、
常に制作費を回収して、
常に「給与」として利益を還元していく。

簡単なように見えて、結構大変。
で、その大変さを嫌って手っ取り早く売上を増やすには
「派遣」でテレビ局にスタッフを送り込むという方法があるんですけど、
右も左もわからない、ついこの間まで学生だったスタッフを
ろくに研修も受けさせないまま、テレビ局に放り込んでしまう。

受け入れ先のテレビ局も日々の業務(放送)があるわけですから、
同時並行でド新人たちの教育までやるのは、相当大変です。

加えて、昨今の「働き方改革」の波がテレビ業界まで押し寄せてきていまして、
完全シフトで、時間になったら「帰って!帰って!」の大合唱。
先輩ディレクターの取材についていく、
先輩ディレクターの編集を見て技を盗む、
なんてことは「長時間労働につながるからNG」、という恐ろしい状況が生じ始めています。
ADさんもディレクターになると長時間働かなくてはいけないからディレクターになりたくありません、なんて言い放つケースもあるという話もチラホラ。この辺の…「業界全体の足腰弱ってる感」が昨今のテレビ離れや、テレビつまんないよ!話に直結しているような気がしなくもありません。

テレビ番組制作のようなクリエイティブな仕事が、この「働き方改革」とどう向き合っていくかは業界全体の喫緊の課題ですので、このブログでも折りに触れて書いていきたいと思います。

まぁ、ちなみに僕が駆け出しのディレクターだった頃は、

「24時間仕事バカ」

じゃないと面白いものは作れませんでしたし、
人より「上」にはいけなかったものですけどね。
今は昔、ということにしておきましょう。

次回は、今年度から放送の始まった弊社制作協力番組についてです。
BS11「世界の国境を歩いてみたら…
ラテ欄の端っこから革命を!が今年度の社のテーマです。

8年目の映像メディアのプロになる!


こんにちは。
株式会社メディア・ワン、代表取締役の奥村健太です。
本日、社の公式webサイトをリニューアルオープンしました。
制作した番組の裏話やマル秘情報、テレビ・映像業界のちょっとおもしろい話などを発信していければと考えておりますので、時間のあるときにちょこちょこと覗いて頂ければ幸いです。

というわけで、このブログのタイトル「映像メディアのプロになる!」ですが、元々は弊社が大学で担当していた講義の内容をまとめた本がありまして、そのタイトルです。
映像制作におけるバイブルとして、そこそこ評判も良いのですが(※自画自賛)、なにせ今から8年ほど前の本です。いま読み返すとかなり内容が古臭い…若気の至りもあってか、こっ恥ずかしい表現も散見されます。このブログでは、そういった点を加筆修正し、「今」のテレビ・映像業界や、最新の映像技法等について解説していこうと考えています。

実はワタクシ、代表取締役、という大層な肩書がついてしまったものの、生涯現役ディレクターを目指していまして、この原稿を書いているのも成田空港のラウンジです。
まもなく、ちょうど50ヶ国目となる海外ロケに出発するところです。

それでは行ってきます!