【番外編】代表に聞いてみた!其の弐(番外編)

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(高橋美波・2020年入社。通称:たかみな)がインタビュー!

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株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近、スマホゲームのドラクエウォークにはまっていて、あちこち歩きまくり。
*****

※今回は前編、中編、後編の三部作の【番外編】です。

Q:さて、うちの会社の奥村さんと言えばグルメですが…
これまでの取材で特に印象に残っている外食のエピソードはありますか?

A:いやいや、やめて!グルメじゃなくて、食いしん坊ね。そこ、間違えないように(笑)。
うーん…そうだな…店がいい?店じゃないのがいい?

Q:(え?お店じゃない外食…?)…どちらもお願いします。
A:じゃ、まず…店じゃないのからいうと、取材するときに、基本的には僻地に行くことが多いのね、俺。だから民泊する機会って多いのよ。まぁ、人ん家に泊めてもらうことがすごく多くて…、取材をしている人の家に泊めてもらうことも多いんだよね。ホテルなんかないし。例えば遊牧民のところなんか取材に行くと、羊をつぶした料理を手づかみで食うってこともあってね…キルギスに行ったときには「ベシュベルマック」っていう料理を食べさせられたんだけど…

Q:ベシュベルマック…?
A:「ベシュベルマック」。

ベシュは「5」、ベルマックは「指」を意味する言葉らしくて、料理を5本の指で食べていたことが由来になったと言われているのよ(諸説あり)。こうやって手で麺と一緒に羊の煮込みを食べる。
…でさ、一番のお客さんは羊の頭を食わせるっていう習わしがあって(笑)。

Q:あはは「おいしいところだよ!」って?
A:「マジで、美味しいんだよ!」って。その時はベテランの俳優さんと一緒に取材に行っていたんだけど、その人の目の前にドーン!って(笑)。 オレ近くにいたんだけど、「奥ちゃんこれ食べた方がいい?」「(番組的には)食べてください!」…で、むしゃむしゃ~って、羊の頭にかぶりついて(笑)。 先方はもちろん歓迎の意味を込めてやってくれているんだけど、なんといっても結構ビジュアルが強烈だからね。

Q:でも目玉とか美味しそうですが?
A:目玉は美味しいよね、裏の部分とかね。
…で、次に美味しかった「お店」の話をすると、中国の四川省に行ったときで、その時も先方にすごく歓迎されて。「ここの鍋が超美味いから」って、すご~く辛い火鍋を食わされるわけ。それで中国アルアルなんだけど、必ず乾杯して挨拶して、テーブルも回るし、酔いもグルグルグルグルまわってくると、ほとんどワケがわかんなくなってくるのよね。そのときに出てきた鍋がね、めっちゃ美味しかったの。すげー辛いんだけど。

Q:うわぁ…赤いな~!
A:これ魚が油で揚げてあって、その上でもう1回煮込んでいるのね。普通の唐辛子だけじゃなくて三椒とかも入れて。

Q:麻辣とか?
A:そう。なんだけど、本場のは、本当に辛くて舌がビリビリ痺れるんだけど美味いのね、っていう感じ。この鍋が、これまで食った鍋の中では最高に美味しかった。

Q:それはロケ何日目ぐらいだったんですか?
A:基本的に初日だね、明日からよろしくね、みたいな時に、中国では現地の人がこっちを接待するって文化があるの。ちなみにロケの最後は、逆に取材班がありとうございましたって現地の役人やスタッフを接待するのね。で、この鍋のときは区長さんみたいな偉い人が出てきて、明日から頑張ってねって、白酒で乾杯して。だいたいロケの初日は朝が早いから早く帰りたいって思うんだけど、なかなか途中退席もできず…でも鍋は食ったら美味しかったな~。

Q:何が入っているんですか?
A:基本的には机と椅子以外の4本足の動物なら何でも(笑)。それは冗談だけど、その時に思ったことは、中国料理って本当に合理的なんだなって!

Q:合理的?
A:世界中で色んな飯食ったけど、こんなに合理的な飯はないなって。なんでかわかる?

Q:辛くて温かくなるとかそういうことですか?
A:いや、違う。今ではだいぶ改善されたけど、中国って基本的に汚いのよ。

Q:衛生面ということですか?
A:昔から共産党の幹部とかが使う高級店は別格にキレイなんだけど、特に四川省なんかは内陸じゃん?海がないから、魚介とか基本的にないのよ。…なので魚も泥臭い川魚が多くて。…基本ね、中国料理ってなんでも二度揚げするのよ。

Q:確かにそうですね。
A:酢豚を想像してみ?
まず豚肉を揚げて、菌が死にます。それを皿にあげて、皿の菌が死にます。
次に、野菜を炒めて、今度は野菜にいる菌が死にます、豚を戻してとろみをつけます…これで3回、菌が死んだよね?
…さらにもう1回念入りに炒めて菌を殺します!…ってことで一連の工程で菌が何度も死んでいるんだよ、高熱で。衛生面を考えてなのか、単なる経験上からくるものなのかは知らないけど、二度揚げの料理が殆どで、しかも美味しいわけ。鍋もそうなの、1回揚げたお魚とかが具として入っていたりする。

Q:そうなんですね!あんまり食べたことないんで中国の鍋…
A:それプラス…辛いものってことは消毒作用があるので、ニンニクとか唐辛子とか三椒とかでもう1回菌をブチ殺して、って感じ。清潔じゃない、不衛生であるって前提で、二度揚げの料理が多いっていうのはやっぱり凄く合理的だなと思って。あとはやっぱ何で合理的でいうと「天下」がコロコロ変わっているからなんだよね。

Q:…と言いますと?
A:たとえば、たかみなさ、1日100円ずつもらえるのと、7日後に、1週間経ってから1,000円もらえるのどっちがいい?

Q:…7日待つと1,000円ですよね?
A:そう、多少プレミアがつく。

Q:じゃあ7日後に1,000円ですかね。
A:…って思うじゃん。日本人に聞くと、大半が後者をとる。でも中国人って100人に聞くとほぼ100人が100円ずつもらうの。さて、どうしてでしょうか?

Q:なんで~?あ、そうかお金がいつ使えなくなるかわからなくなるから!
A:そう、本当にあっという間に「王朝」なんて隋から唐に変わるし。明日は明日の風が吹くって考え方が基本だよね。本当に目先のことだけ考えているから、何でも合理的に考えてかないと生き残っていけない。…だから一番強いのが「地縁」と「血縁」なんだよ。つまり家族ね、血のつながり。それから同じ土地で生まれ育った仲間。そういうのをスゴイ大事にするのよ。そこに取材でも何でも、入り込もうっていうのはすごく大変だから、さっきいったみたいに歓迎会とか宴会とかしてめちゃめちゃになるまで飲んで仲良くなる。

他にもね、タバコをあげて、もらって一緒に吸って、話して仲良くなる…っていうのが昔からある。回し食い、回し飲みっていうのは文化としてあって。まぁ、最近はコロナ禍でかなり変わったようだけどね。それはやっぱり、明日になったら、今日の常識が通用しなくなるっていうことを何千年とやってきているわけよ。
俺が中国をメインに取材していた頃って、まだまだ未開で発展途上の部分も多かった国だったから、上海万博の取材した時(2010年)に初めて上水道が普及してきたぐらい。

Q:あ、そうなんですか?
A:上水道、ペットボトルを別にすれば、一般的に飲める水が一切なかったからさ。そういう国がどんどんGDPも上がっていって、今やもうアメリカVS中国じゃん、ほぼ2極化。中国が、超大国として復活していく過程を、ドキュメンタリー取材を通して見られたのは良かったなというのと、そんな超大国を構成する中国人のことを少しでも理解できたっていうのが凄く良かったな…って。

Q:お隣の国ですからね。
A:そう。韓国もそうなんだけど、中国って隣の国だけど全然わからないじゃん。北朝鮮はもっとわからないし。ロケで知られたのはすごく良かったと思う。

Q:食を通して。
A:そう。食べるっていう行為そのものも、勿論とても大事なんだけど、食べ物ひとつをとっても国が見えてくる。俺、ロケの前によく皆に言っていると思うんだけど…。

「ロケ飯は可能な限り、チェーン店じゃないところで食べる」

…これ、真理だから、よく覚えておいて、後輩にも教えてあげてね。
つまりさ、「食」ってのは、その国の文化そのものなのよ。食文化を通して、国民性が見えてくるし、土地の風土や成り立ち、人となりにも多大な影響を与える。水や食料が豊富な土地では、争いごとは起きづらいし、逆もまた真なり、だよね。もちろん外国だけじゃなくて、日本の地方も同じ。

俺たちの仕事って、視聴者の代わりに、遠いところを取材して、お茶の間や、テレビ受像機、今だとスマホか…に映像を届けるよね?その過程で、食を知り、人を知り、国を知る…撮影を通して、真の国際人教育をしている、というと大げさだけど、まぁ、そういうこと。

美味しいものを食べると、胃袋が喜んで、健康になる。ついでにいうと、身体の栄養も大事だけど、「心の栄養」が、最も大事なのよ。「食の記憶が、旅の記憶」、これからの長いディレクター人生、良き記憶をどんどん積み上げていってください。

…って、長々と話しちゃって、ごめん。最後の部分だけ切り取ると、この代表…どんだけ食いしん坊なんだよ!?って思われるな(笑)。

Q:いえいえ、しっかりと来年度入社の後輩たちにも引き継いでいきます。有難うございました!
緊急事態宣言があけたら、美味しいもの食べさせてください。

A:ああ、もちろん!そうだな…店がいい?店じゃないのがいい(笑)?

Q:…もちろん、店でお願いします…。
                      (了)

【番外編】代表に聞いてみた!其の弐(後編)

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(高橋美波・2020年入社。通称:たかみな)がインタビュー!

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株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近、酒が翌日に残るようになり、「歳」を痛感している…。
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※今回は前編、中編、後編の三部作の【後編】です。

Q:さて、ここからは私が個人的に気になることをいくつか聞いていきたいと思います。
奥村さんが今、会いたい人、面白そうだなと思う人はいますか?

A:会って話を聞きたい人…そうだな…菅首相とか。このコロナ禍で安倍さんのあと、どうして総理大臣をやろうと思ったのか、すごく気になっている。普通、こんな火中の栗を拾わないよね?…あとは小池都知事かな。俺、小池さんのスーパーアンチなんだけど(笑)。

Q:政治家って人格や顔以外にも、色々な「顔」がありそうですしね?

A:俺、ニュースJAPAN(かつて放送されていたフジテレビ夜のニュース番組。MC安藤優子、木村太郎。)のときに、めちゃめちゃ取材したんだよね、政治家を。それでいっぱい、それこそ数え切れないくらいVTRを作っているし、それぞれの人脈が今にも活きているんだけどね。その後、TBSで「みのもんたの朝ズバッ!」を立ち上げた時にも、本当にありとあらゆる政党と政治家の取材をしたんだけど、永田町ってこうなってるんだってことがよく分かった。日本の中枢を垣間見られたというのは凄く勉強になりました。

Q:一度、私も目の当たりにしたいですね。

A:政治の世界ってのは、すごく面白くてね。例えば選挙だと、有権者に「自分はこうしたい」「こういうビジョンがある」っていうのを、一人ひとり口説いて、自分の考え方を理解してもらって一票もらう、っていうことの繰り返しなの。それこそ選挙区を毎日のようにまわって、これを延々と繰り返す。こうやって説得して、説得してってことを繰り返すことのできる「ものすごい」熱意がないと、絶対に勝てない。結局、現代日本でできる「唯一の戦争」が選挙だからね。法に触れずに、ありとあらゆることを何でもやるってことが選挙。まぁ、そういうことができなかった人が、最近もニュースになってるけどな(元法相の買収事件)。

Q:戦いなんですね。

A:そう、戦いなの。裏側が見られるのがすごく勉強になるし、その中でこういうことを考えて、実行に移せる人が日本を動かすんだなって強烈に感じた。選ばれた人たちがどうやって法律作って…法律って結局さ、役人もつくるけど議員が作ったりするじゃん、議員立法っていうんだけど。あれって結局、コンピューターで言うところの「プログラム」なわけよ。

エラーがでないように条文を書くっていうのが立法で、その立法のミスが出ないように本当にスゴイ細かいところまで詰めてくのね、議員さんたちが役人と一緒に。取材をしていて「なるほどね、こういうふうに。プログラミングと一緒なんだ」って初めて気づいた。だってミスが出たら、法の抜け穴になるわけだし。1つ条項を変えるだけで解釈も違うっていうのができちゃマズイじゃん。絶対それしかできないようにするわけだから。

だから法律ってすげぇなって思うし、逆に法律を作る立場にいるのが議員じゃない?そういうところのトップ機関にいる人たちって面白いんだよね。酒を飲んでるだけじゃないしさ。もちろんずっと宴会をしているイメージもあったんだけど、根回しもしっかりやりつつ、やりたいこと実現させてくって意味では、ホントこれも「斬り合い」だからさ。面白いな~、と思って見てた。

Q:なるほど。次は話をガラッと変えて、最近気に入ってるコンテンツはありますか?
この前は『呪術廻戦』と答えたようですが。

A:漫画だと…『呪術廻戦』はテレビアニメが終わっちゃったので、いまは自分の漫画の原作が大変かな。

Q:聞くところによるとドキュメンタリー2時間番組をつくるより難しいとか。

A:だってセリフを考えて、書くの大変じゃん!

Q:今まではセリフ書くって作業がないですもんね?

A:ない、ない、ない、ない!だって(ドキュメンタリーは)あったことを上手く編集してストーリーを作るもんだし。イチからセリフを考えて書くのは大変よ?

Q:視点が逆ですよね、私たちはON(※取材対象の発言のこと)を受けて…

A:(頷いて)ナレーション書いたりするじゃんね。

Q:漫画の作り方とは逆ですからね。コンテンツや情報摂取でいうと、奥村さんはよく新聞を読んでるイメージですが、サイトはどういうのを見たりしますか?

A:ネットのサイトほとんど見ないんだよね、俺。基本は、新聞とテレビと、あとはTwitterとかで気になるやつクリックするとか。中でもよく出てくる東洋経済オンラインとかは、たまに読むかな。やっぱ新聞で気になったことを、自分から一次情報を調べに行くので、まとめサイトとか一切見ない。むしろまとめサイトは大嫌い。記事を書いた人のバイアスに乗っかって物事判断するのがホントに嫌なので、気になったら自分でカタカタカタカタって調べて、時間があって可能であれば元データのところまでいくかな。

Q:あとは本ですかね?

A:本はたくさん読むよ。吉村昭って知ってる?俺、吉村昭の本がめちゃめちゃ好きで、昔すごく読んだの。最近は『ポーツマスの旗』っていうのを改めて読み返してみたんだけど、やっぱり面白い。日露戦争の話なんだけどね。

Q:ポーツマス条約の?

A:そう、まさにそれ。あれなんかは凄く良かったよ。歴史もので。
小村寿太郎がポーツマスに日露戦争の後始末をしに行くんだけど、賠償金がもらえないのと、樺太も半分は還しちゃうのとで国民が大暴れするわけ。「ふざけるな!賠償金を獲れ!」って。もうこれ以上、戦争なんか続けられないっていうのはもちろん、国がそんな危ない状況だよってことも、政治家も新聞とかで言えないわけじゃない。そんなことがロシアに知られたら交渉で不利になるから。

そうやってギリギリの情報を操作したのが裏目に出ちゃって、「勝っているはずなのに賠償金獲れないのはおかしい」って大暴動が起きるわけ。今のコロナ禍の状況にそっくりだよ。「給付金よこせ」ってみんな言うじゃん。そんな金なんかねぇよって、ちょっと考えたら分かると思うんだけどね。そういう所も含めて、今の日本にそっくりだなって思ったりするんだけど、吉村昭はそういう記録・歴史をすごく調べて書く人なのでドキュメンタリーを撮る際の勉強にもなる。
他にも『三陸海岸大津波』っていう本もあって、これは過去の3度の津波ね、明治の津波・昭和の津波・チリ沖地震っていうのを克明に記録しているドキュメント本があるんだけど、それは10年前の東日本大震災のときに、また爆発的に売れたの。3回あって4回目…みたいな。その時にこの本読んでいて、昭和、チリ沖地震、平成と、3回の津波を乗り越えたおばあちゃんの取材につながって…。それはそれで良かったなって気がした。

(※震災1年後に取材に応じる故・赤沼ヨシさん。)

Q:今コロナ禍で『ペスト』が読まれているのに通ずるものがありますね

A:そうそうそう。カミュの「ペスト」も、是非読んでください。そういうので知識を得たことが多いかな。

Q:情報の確実性や一度に入ってくる情報量の意味でも本や新聞は強いですよね。

A:そう、ネットでまとまっているものって、結局、ユーザーが興味のあるものしかクリックしないわけじゃん。だけど新聞って、バサーって広げると興味がない記事も自然に目に入ってくるわけ。それを見て「あれはなんだ?…ほうほう、そういうことか」っていう気付きがあったりとかするので、新聞はオススメ。逆に新聞を読まないと、情報が入りきるかなって気もするくらい。

Q:それでは最後に、今後のメディア・ワンでの番組作りをどう見据えていますでしょうか?

A:早くても来年夏くらいまで海外には取材に行けないと思ってる。今年、本格的にやろうかなと思って、準備を進めているのは、BBCとかフランス2とかの海外のテレビ局に向けて、こっちで撮って作って、向こうでOAするってことだね。

Q:こっちが現地になるみたいな。

A:そうそう。それをちょっとづつ進めているところ。向こうの言っていることを理解して、向こうが面白いと思うものを作るって、めちゃめちゃ大変なんだけど。徐々にチャレンジしてって来年ぐらいから本格的にできるといいな。需要の問題だよね。日本ってデスティネーションとしてはすごく人気のあって良い所だから。春夏秋冬もあるし、キレイだし、寺社仏閣もあるし、1000年以上の歴史が有形無形で残っているわけだからさ。

世界中50か国に取材に行って思うけど、日本って世界で一番良い国だと感じている。最近、めちゃめちゃ雨が降るけど、季節に応じた景色があるだとか、文化があるとか、人もいいし。そういうことを世界に発信するってコンテンツを、海外の依頼で作って向こうで放送するっていうのは継続してやっていきたいな。昨年、遠隔で番組ができることがわかったから<※たかみな注:昨年度は遠隔で現地のカメラマンに撮影してもらい、海外番組の制作することに成功しました>、逆にこっちが向こうに言われて作るっていうのは、十分にアリだなって思ってるのでそれを実現させたいなと思います。(番外編に続く)

【番外編】代表に聞いてみた!其の弐(中編)

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(高橋美波・2020年入社。通称:たかみな)がインタビュー!

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株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近、会社近くの蕎麦屋「手打蕎麦 ごとう」でお酒が飲めなくなって、傷心気味…。
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※今回は前編、中編、後編の三部作の【中編】です。

Q:遺族取材のように、ニュースの現場は人の不幸と切り離せませんが、一方で面白いなとか、興味深いな、と思った経験はあったんですか?

A:一番大変だったんだけど、興味深かったのは「オウム真理教」関連取材かな。その頃はもう麻原彰晃(本名:松本 智津夫・2018年死刑執行)は逮捕されていたんだけど、まだ残党というか、彼を信奉する人たちがいたわけよ。秋葉原でパソコンショップやっているとか。娘を崇める勢力がいたりとか。長男を後継者にしようとか、改組された「アレフ」とか。
信徒の中でも犯罪に関わっていなかったはずの人に「その後、どうですか」って取材して、現状はどうなっているのか探してって。当時はネットも今ほど発達していないから、自分の足で聞いて回る「探偵風」なところも含めて、ちゃんと取材してるなって感じがあって、面白かった。取材内容は「興味深く」はあったけど、「面白い」というものとは、真逆なものだけど。

Q:オウム関連の取材中で印象に残ったことは?

A:「なんであの宗教にどっぷりハマっていたのか」って聞いたときに、“現状に不満がある”という答えが一番多かったんだよね。「今の自分は本当の自分じゃない」、みたいな。今で言うところの「なろう小説」の良くない方向版。「俺が本気を出したら、こんなもんじゃない!」という人々の「はしり」だったんじゃないかな。時代の徒花というか。高学歴の信徒が多かったのも、現実社会で認められない鬱憤を晴らしたかったというか…。

オウム真理教の教えを守ってさえいれば本当の自分になれると。だから修行内容も含めて、傍から見れば、めちゃくちゃなことをしてたっていうのが「生の言葉」として知れたのは、面白かったかな。「この人たち何を考えて活動しているの?」っていうのが、当時の俺の取材の動機で、それを聞いて報道するってことを、毎日毎日一生懸命にやっていた。

Q:ここまでの話だけでも色んな現場を取材されたのがわかりますが、中でも忘れられない現場はなんですか?

A:やっぱり地震だね。スマトラ島沖地震と新潟の中越地震と東日本大震災と、10年くらいの間に3箇所も行ってる。スマトラ島沖地震は、起きたその日の夜に成田空港を出発して、タイに向かっていたかな。


(※震災発生直後に宮城・石巻市を取材する奥村代表)

Q:前の2つの被災地取材が東日本大震災の取材に活きたことってありますか?

A:まず自分が悲しんではいけない。それと被災者=悲しんでいる人に同化してはいけない、ってことを覚えた。心を鬼にしてじゃないけど、「自分は何のためにここにいるんだ!」ってことを、ちゃんと考えてから現場に入らないと、何の仕事もできないっていうのを痛感した。簡単に言えば、取材者が悲しんではいけないってこと。

Q:同化してはいけないというのは?

A:やっぱり「かわいそうだから撮るのをやめよう」って思っちゃいけないのよ。それは中立ではない。人間だから、そう感じたり、思うのも分かるのよ。泣いているから話を聞きづらいな…とかさ。でも「同じことを二度と起こさないようにここにいる」「同じような被害を起こさないように」「今、現場で必要とされているものは何か伝えたい」って思わないと、取材そのものがやってられないから。これが同化してはいけないってこと。やめとこうって判断したらその部分は報道されないからね。

Q:無かったことになってしまうと。

A:そう。結局ドキュメンタリーでもそうなんだけど、記録するってことが俺たちの仕事だから。でも東日本大震災は今までをはるかに超えるインパクトで、発生当初は被害の様子しか報道してなかったから、なんだかな、と思って…。そこで一段落したあとの特番では「今あなたが欲しいものは何ですか?」って答えてもらうVTRを作った。フライパンが欲しいですとか、ゲートボールのセットが欲しいです、とかね。テレビの力を使って支援物資を送ってもらおうって試み。放送後、本当にゲートボールセットが届いたから「テレビはすげぇな」って改めて思ったね。


(※震災直後の宮城・石巻市の様子)

Q:報道の現場を離れた今は、ニュースを見ながら何を考えていますか?

A:最近はもっぱらコロナかな、朝から晩までだからね。
コロナの今の状況とかワクチンの状況が、政治家のパフォーマンスや派閥争いの武器になっているのが辛いなって思う、正直に。…だけど、そういう風な見方で報道する番組がほとんどないじゃん。たんに「感染者が先週から比べて何人増えた!」とか煽ってるだけで。ネットで何でもかんでも一次情報に接することができて、分かってしまう時代に、ニュースをキュレーションする人間が、ちゃんと、しっかり「ニュース」を解説する番組があるといいのにねって思うんだけど、全然ないよね。

Q:特に政治に関しては、難しいと感じる視聴者が多い中で、オンエアで尺を割いてもやっぱり「わからない」って視聴率が落ちてしまいがちで。でも伝えないことには日本の政治を知ってもらえないし、っていうジレンマがありますよね。

A:数字が取れないから、やらないんだよ。結局、日本のニュースって政治は「政局」しかやらないから。1vs1の構図を作って面白がって…。そのツケが来てるんだと思うよ。政治の難しい話を、どうやって面白く見せるかって工夫したりとか、それで観る人を育てるたりすることも、本来テレビの仕事だからね。
(後編に続く)

【番外編】代表に聞いてみた!其の弐(前編)

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(高橋美波・2020年入社。通称:たかみな)がインタビュー!

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株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近、会社近くの大勝軒・代々木上原店が休業して大ショック
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※今回は前編、中編、後編の三部作の【前編】です。

Qよろしくお願いします。私は今、フジテレビの報道局で働いているのですが、奥村さんもADの頃は報道番組でも働いていたんですよね?


A:そう、関口宏のサンデーモーニング。TBSにいました。1997年。そこで出会ったのが凄い人で。TBSのプロデューサーで編成局長までやった吉﨑隆って人がいるんだけど、その人にテレビのイロハを教え込まれた。ホントにペーペーの頃からずっとかわいがってくれて。今の俺があるのは彼のおかげ。バブル期の天才プロデューサーで、「テレビとは」みたいな向き合い方がすごかった。それで最初に踏んだデカい事件は和歌山のカレー事件。当時、疑惑の渦中にいた女性がマスコミに向かってホースで水をかけてる映像がたまに流れるんだけど、その中に俺もいるんだよね。

Qそうだったんですね。社会系の、事件や事故の現場が多かったんですか?

A:そうそう、いいからすぐ行け!ってね。日本全国あちこち行っていて。

Q一般の人と接するわけじゃないですか。カメラに慣れていない人に話を聞く中で気をつけたり学んだりしたことってあるんですか?

A:取材でニュースの現場で色んな人に会って、知ったのは「性格は顔に出る」とか。数限りない人に取材して思ったのはコレ。

Qしぐさに出るっていうのは

A:貧乏ゆすりとかね。

Q顔を映せないインタビューで手元とか撮りますもんね。

A:そう。やっぱり色んな人に会って話を聞いていると「あ、嘘ついてるな」とかわかるようになるし。こういう所に注目するようになったね。よく目元を撮ったりするじゃん。「キョドってる」とかそういうのも含めて…。ドキュメンタリーもそうなんだけど、人間を見るときはこういう所を見る…っていうのが何となく色んな人を取材して、被害者も加害者も取材して得た真理だね。人間研究にもなりました。

A:そのうち「たかみな」も行くと思うけど、一般の人だと遺族取材が本当に辛かった。
黒磯の事件なんだけど、女性の中学生教師が生徒に刺されて殺されるわけ、バタフライナイフで。生まれたばかりの赤ちゃんがいる遺族の旦那さんを相手に「いいからコメント撮ってこい」って言われて行ってピンポン押すとさ、赤ちゃんが泣くんだよ。その時に旦那さんに「勘弁してください、そっとしておいてください」って言われたんだけど、こっちは先輩ディレクターに撮ってこいって言われているからとりあえず「今のお気持ちは?」みたいな。今、考えたら完全に馬鹿みたいだけど。それで相当、旦那さんに泣かれて怒られて。当たり前だよね。…で、帰りの車中に落ち込んでいたらカメラマンに「そういうこともあるけど、同じような悲劇が起きないように声を伝えていくのもお前らの仕事だ」って言われて救われた気がした。帰ってきて先輩ディレクターからは「こんなつまんないコメントを撮ってくるな」って怒られるんだけど。

Q今だとこういった話題はSNSに取り上げられて「マスゴミ」と言われるじゃないですか。

A:さっきの和歌山のカレー事件でも被害者の取材をしていて、事件後も「あれから半年、○日」ってずっと各局揃って押しかけていたんだよね。被害者の自宅にズカズカ行って、でも事件から半年であろうが一年であろうが、それは単なるマスコミの勝手じゃん。遺族にとっては昨日も今日も明日もずっと被害者でいつづけるわけで。マスコミの勝手な理屈で「あれからどうだ」って押しかけるのはどうなんだろうって思ってたのよ、それは被害者遺族からも言われてたし。
けど、彼ら彼女らは「事件が風化してほしくない」とも言ってたの。真相を知りたいって声がある中で、マスコミが報道しなくなると忘れ去られていく。「殺された自分の家族のことも忘れ去られていくってことが怖い」って気持ちに寄り添って、乗っかってくしかないわけ、こっちはね。そう考えながら取材交渉していく自分に「俺…いま嫌なやつになってんな…」って思ったりもした。反省したんだよね、そのとき。でも上からは、やれって言われるから。視聴者もそれを求めてる。けっきょく数字が取れるからやるんだけど、数字なんてどうでもいいよねって思い始めるのは、その後しばらく経ってからなんだよな。

俺はそういう自問自答する期間って結構あったんだけど、今ってそういう教育もされてなければ何も考えてない、現場の経験の浅い人がいきなり取材に行かせられるの。制作の現場が急速に劣化してるってことだよね。番組の予算が下がっていくから、ディレクターにADが付いていって勉強もできないし。現場を踏ませるってことをしないまま、いきなり放り出しても良いものが撮れるワケないよね。そこ含めて、「取材する側の質が落ちてる」ってことが「マスゴミと言われる所以」になってんだろうなって気はする。

うちの会社で言うと、制作費を多少圧迫してもADをなるべく現場に連れてってディレクターの背中を見せるようにしている。でも、ちょっとなかなか今ね…コロナで難しいところはあるんだけど。それでディレクターが困っていたりとか、苦悩するって見せておかないと。いつまでたっても同じことの繰り返しだなって思う。(中編に続く)

【3・11…あれから10年】

震災直後に東北入りしてから、○日後、○年後、と節目節目で東北を取材、特番を放送してきた。

新潟県中越地震、スマトラ島沖地震(共に2004年)など、数々の震災や津波の現場を取材してきた。もちろんそれ以外の現場取材も含めて、テレビディレクターとしての経験は豊富な方であるという自負があった。

新潟では震度7を記録した町を目指し、豪雨の中を飴のようにひん曲がった道なき道を何時間も歩いて、被災者の声をいち早く取材したし、スマトラ島沖地震では、死体がゴロゴロと転がる地獄のような現場も取材した。必死になって行方不明の家族を探す父親、母親の想いにも触れた。

そんな「極限状態」とも言える現場を「踏んで」いたのにも関わらず、「10年前の東北」の現場では本当に足が震えてしまった。いや、竦んでいた、と言ってもいいだろう。

これは比喩表現でも何でもなく、本当にガクガクと震えていた。
自分の目の前の光景が、かつて足を運んだことのある東北と同じだと、俄かには信じられなかったということなのだと、今では思う。

数え切れないほど多くの方々の取材をさせて頂いた。中でも印象的だったのが、赤沼ヨシさんだ。

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大正6年10月26日生まれで、最初に出会った取材当時93歳だった。
何かと不自由な避難所暮らしを強いられているものの、至って元気で明るい様子。昭和8年の大津波の後と比べれば、天国のような暮らしだと朗らかに話す姿が印象的だった。

それもそのはず、聞いて驚いたのだが、当時は救援物資もろくに届かず、雪が降り続く中で、掘立小屋を建ててムシロに寝ている人も多かったという。食べる物も殆どなく、ごく稀に手に入る握り飯も寒さのためにカチコチに凍り、また着る物もなく、ただひたすらに救援を待つ日々。

遺体が片付けられることもなくあちこちに転がり、数少ない食料品などを人々が奪い合う光景は、まさに地獄のようだったという。

ヨシさんはこの田老の地で生まれ育ち、また父・堀子丑松さんは、明治三陸大津波の数少ない生き残りとのこと。首筋がチリチリするような不思議な感覚…。

【凄い人に出会ってしまった!】

…そう、テレビディレクターとしての勘が告げた。

「その時は、お昼を食べとりゃした。お昼さ、夢中になって食べとるところに、どーんというように盛り上がるような、横揺れに・・・立てないから四足になって玄関まで行きゃーした。変な地震だなぁ、とその時は思いやして、慌てて玄関に出りゃーした。」

その日、ヨシさんは遅めの昼食を一人で食べていた。

午後2時46分。

時計の針がその刻を指した瞬間から、ヨシさんは再び地獄の淵を覗くことになる。

高齢に加えて、方言もきつい。
何を意味するのか分からない言葉も多く、またなぜか廓詞のようなものが混じっていて、非常に聞き取りづらかったものの、そのひとつひとつがとてつもない価値を持っている事は十分に理解できた。僕は喰らいつくようにペンを走らせ続けた。(もちろんカメラは回っている)

「前の昭和8年のね、津波のようたれば、第一波が来て、それがまた引いてから、第二波が来たんでござんすが、今度の津波は一波も二波もねぇ。海が盛り上がったみたいに来んでござんますもんで・・・引き波も何にもないような・・・」

一言、一言振り絞るように語る、93歳の証言の重み。

「わだし、一生懸命走って10メートルも行かないうちに、ガリガリガリって音がして後ろを向いたら、波が防潮堤の上を3メートルだか、4メートルだか乗り越えて、波の上がキラキラ光りながら、こっちに来んだもん。昭和8年の津波の3倍はあるってピンときたでござんす。それから一生懸命逃げた。押し車を押して・・・。でもその車がいうこと聞がねぇ。」

今回の津波がいかに巨大なものだったか。
昭和8年時のそれの3倍はあったとヨシさんは語る。
もちろんそれは正確なものではないのだろうが、実際に2度の大津波を体験しているだけあって、言葉に迫力と説得力がある。

波というより、「のっ、と」海が浮き出てきたような感じ…
そう何度も繰り返すヨシさんは、逃げながら不思議なことに気が付いたという。

「昭和8年の時もその通り。誰も津波だ!という人は一人もいないでござんした。みんな無我夢中で山に登るんでございます。もう夢中になって声も出ない。津波で逃げっ時は、本当に誰もみんな何も言わないでござんすよ。隣の人も呼ばないでござんすよ。自分たちの命を守るのに一生懸命で。誰も津波だー、という人はないござんす。今度もその通りで・・・。」

津波てんでんこ。
大声で叫びながら逃げるようにと訓練されてきたにも関わらず、いざとなると言葉もなく、ただ黙々と逃げるしか術がなかった田老の人々。さらに過去の津波の恐ろしさを知らない人々の中には、のんびりと立ち話をしていてそのまま帰らぬ人となったケースも多かったという。

インタビューは休憩を挟みながらも半日以上に及んだ。
跡形もなく無くなってしまったヨシさんの家(があった場所)の前で、最後に僕は、散々悩んだ挙句に、こんな質問をしてみた。

—またここに住みますか?

ヨシさんの目が潤む。
聞いてはいけない質問だったのかもしれない…後悔の念がよぎる。

しかし、ヨシさんは力強く僕の目を見据え、こう切り出した。

「生まれた里で、生まれ故郷で終わりたいと思っておりんす。100歳まで生きたって、あと7年しかないでござんす。その人生をどうやって暮らしていくか…。それまでにこの田老がどう復興すべか、どのように変わっぺか、それも見ておきてぇす。やっぱり故郷は捨てられないでござんす。」

その時、ヨシさんの脳裏には、昭和8年の大津波から力強く復興した、かつての田老村の姿が蘇っていたに違いない。

また再び、全てを失い、何もかも無くなってしまったけれども、この田老は再び元の姿に戻ることが出来る、そう確信していたのだと思う。



そして10回目の、3月11日がやってきた。
残念ながら、ヨシさんはすでに亡くなり、10年後の田老を見ることはなかったが、見事に復興を遂げた。人々の住まいも高台に移ったが、日常も戻ったように見える。

今日、テレビや新聞紙上では「あれから10年」といった言葉が踊っている。しかし、それは単なる通過点に過ぎない。

東北の人々にとっては3月9日も、3月10日も、3月12日も、そしてその翌日もそのまた翌日も、辛く苦しい日々が続くことも、また現実である。

テレビにできることは、あの日をいつまでも忘れないように報道し続けていくことに尽きると信じている。そして、それが僕たちにできる、確かな復興への貢献だとも考えている。

株式会社メディア・ワン 代表取締役  奥村健太(2021年3月11日記)

【番外編】代表に聞いてみた!

【メディア・ワン 代表インタビュー】
趣味は散歩や料理など、「時間がかかること」。
理由は「企画やナレーションを考えながらできるから」という、趣味=仕事、根っからの「映像人」である弊社代表・奥村健太に、若手社員(三好眞子・2019年入社)がインタビュー!

*****
株式会社メディア・ワン 代表取締役
プロデューサー/ディレクター
奥村健太 (おくむら・けんた)47歳 最近ハマっているものは「呪術廻戦
*****

Q よろしくお願いします!
早速ですが、この業界に入ろうと思ったきっかけは?


A 元々は新聞記者になりたかった。書くのがすごい好きで、高校の時に同人誌出したりとか小説書いてたりしたんです。大学も文学部、日本文学専修にいってたんだけど、文字だけで伝わるように書くのって難しいんだよね。そんなことを思ってた時に、大学の先輩がこの会社にいて、人が足りないから手伝えって言われてアルバイトを始めて、カメラ持って色んな先輩にくっついて現場に行ってたの。

その時に「映像ってめちゃくちゃ面白いな」って思った。例えば、ワンカットの出来事を文字だけで伝えるのってすごい大変だけど、映像ならワンカットの中で物事が動いてる様子が一発でわかるっていうのがすごい面白い。それで映像の仕事がしたいなって思って、そのままずるずる入った感じ。

Q きっかけは「好きなこと」だったんですね。
では、この仕事を始めて一番大変だったことは何ですか?

A 経験が浅かったっていうのもあるんだけど、中国のチベット自治区ウイグル自治区、この二か所にロケで行った時は本当に大変だった。特にチベット自治区のロケの際には、目的地に向かってる途中に雨で道が崩れてしまって、すぐそこが崖っていう一本道を車がずらーって連なって立ち往生!いや「車」往生か。
「人民解放軍が来てなんとかしてくれるから待ってろ」ってことになったけど食べるものはないし、雨は降ってるし、落石もあるしで、このまま石がぶつかって車ごと落ちたら100%死ぬっていう状況。

Q 生死の境目ですね…。おいくつぐらいの時ですか?

A ロケが2007年だから、33歳くらいの時かな。ディレクターにはなってたけど、一回ニュースの現場に出向してから社内に戻って完パケの番組を作り始めた頃だね。
海外のドキュメンタリーを本格的にやるのって初めてくらいで、その現場の責任者として完パケを作るのも初めてだったから、精神的にもかなり大変だったなあ。雨で先に進めないし食べるものもなくて…。

Q どれくらいの時間立ち往生していたんですか?

A 二日間くらい。持ってきた水とか乾パンとかはあったんだけど、すぐに次の村に着くはずだったんでそんなに量はない。その時に中国人てすごいなって思ったことがあって、そこで商売を始める人がいるんだよ。カップラーメンを輸送していたお店の人が、カップラーメン作って何元ですよってやってるわけ!その場にあるものを利用してたくましく生きる中国の国民性をみた。
当時チベットってほとんどの場所が未開放地区に指定されていたから、よっぽどのことがない限り外国人が入れない場所だった。そういう場所に行ったことで人生のいろんな価値観が変わったし、死にそうにもなった。そこである意味生まれ変わったのかもしれないね。

Q この業種じゃないとなかなか経験しない出来事ですね。
今度は逆に、めちゃくちゃ楽しかったことを教えて頂きたいです。

A 基本的に楽しいっていうことは、現場でやってる時は無いね。

Q ないんですか!?


A めちゃめちゃ大変だから(笑)。最近はタレントさんが出るロケが多いから普通のホテルに泊まってるけど、スタッフだけだと民泊とか当たり前だし、山奥でのロケだとホテルなんてない。お湯が出るとか風呂に入れるとか三食食べられるだけで嬉しいなって、それはもう取材じゃなくて冒険だね。
ロケから帰ってきて編集してるときも大変だし、テレビ局のプロデューサーに無理難題を言われたりすると「こんな仕事二度とやるか!」って思うんだけど、でも終わると自然と忘れちゃうなあ。

Q 完パケた時にやっと楽しさが感じられる?

A そうそう。普通の観光では絶対行けないところに行って、見られないものを見て、会えない人に会って、普段食べないものを食べたりとか、汚いものも含めてよ?それをカメラに収めて、なかなかできない経験したなーっていうのが一つの作品にまとまった時は嬉しいなって。

Q 自分の経験の記録でもありますもんね。だけど、やってる最中は全然楽しくない、と(笑)。

A まったく楽しくない!けど、番組の放送後に視聴者から手紙やメールで感想が来るのはすごく嬉しいし、達成感も感じる。

Q 意外でした!
では、一番やりがいを感じるぞ!っていう瞬間はどこですか?

A 企画書書いてる時かな。あそこ行きたい、ここ行きたい、これ見たいっていうのを調べて書いてるときは超楽しい!もっと言うと、それが実際行ってみて、「違う」っていうのを知った時が一番面白いかな。ネットとか本とか現地に電話するとか含めて、リサーチしてるのってやっぱりどうしても古いんだよ。自分が行ってみて、事前情報と違ってる!ってひっくり返すのが、面白い。
特にボリビア行った時に、やけどの子いたじゃん?

Q 女の子でしたっけ?

A そうそう、女の子。あれなんか全然事前の構成案にない。ロケ中に突然「急患です!」みたいな感じでひどいやけどを負った女の子に出会って、主人公の医者の人が「お前そこの石ひっくり返してミミズ探せ!」って。「ミミズ!?」みたいな。で、ミミズをガンガン潰してやけどの傷口に塗るんだよね。
日本に帰ってきて調べたら、ミミズには炎症を抑える作用があるっていうのがちゃんと科学的に立証されていた。現場では「ミミズかよ!?」って思うけど、同時に「超面白い!」って思いながら撮ってるわけ(笑)。
構成にもないし聞いたこともないような話もあって、もちろん、人の不幸を喜んじゃいけないんだけど、あの時は「よっしゃ!!」って。

Q 伝えることがやっぱり仕事ですからね。
本当に色んなことを経験してきた奥村さんですが、これからやっていきたいなって考えてること、可能な範囲で教えて頂いてもいいですか?

A 今までね、日本を除いてちょうど50か国行ってるのよ。で、五大陸で言えば、南極だけ行ったことがない。南極を絡めた番組をやってみたいんだよね。
あとは、多分、地球の「地上」って、基本的に大体撮り尽くされちゃってて見たことない場所なんてほとんどないはずなんだけど、人間がそれこそ行ったことないところってもう、宇宙はちょっと置いといてですけど、あとは海の中か洞窟なんだよ。そこも行ってみたいかな。

Q 誰も見たことがない景色を見てみたい。いいですね、冒険家のような。

A 見たことがないものを視聴者に届けたいっていうのもやっぱりあるかな。今でこそスマホやネットで何でもかんでも見られるけど、それって誰かがそこに行って撮ってこないと見られないじゃん。そういう仕事がしたいなーと思ってるんだけど、コロナ禍がこんな風なんでね…。


Q 早く実現できる日が来るように、今は備えて…。
コロナ禍でも、ものすごく壮大な夢を持っておられる我らが奥村さんですが、代表として、我々メディア・ワン社員にひと言いただけたらなあと思うんですけれど…。

A メディア・ワンに入ってくる人たちって、お金を稼ぎたいというだけで来た人って一人もいないと思っていて、多分みんな、なんとなくやりたいことがある。
だからこそ、言葉は悪いけど会社っていう組織を「利用して」、周りの先輩とかを「うまく使って」、やりたいことをする、行きたいところに行く、それを仕事にする。要するに商業ベースに乗っかったクリエイティブにしてもらって、それを実現してほしいな。1日8時間労働って言われてるけど、それって一生のうちに換算したらほとんど仕事してるわけ。自分のやりたいこととか趣味とかを仕事にできるように「企む」、企画するっていう風に考えると、結構人生楽しいんじゃないかな。

Q ありがとうございます!
「企んでほしい」社員がそろったメディア・ワン、いいところはズバリどんなところでしょうか。

A 風通しは比較的いい会社だと思う。「これしたいんですけど」「あれやってみたいんです」っていうのを、年齢とかキャリアの垣根を取っ払って相談して実現していくっていう土壌は昔からあるので、それは一つのアピールポイントかな。
今はコロナ禍による制限があって物理的には動けないけど、頭の中の思考は自由だからね。どんどん想像力をめぐらせてもらって、来年くらいに向けて牙を研いでおいてください!

Q ありがとうございます。
最後に、少し遅くなってしまったんですが2021年の奥村さんご自身の抱負をお聞かせください!

A 今年は正直、コロナ禍の影響でまだ好き勝手出来ないと思う。だから来年に向けて勝負できるような感じに会社の番組制作のシステムを再構築したいなと思っていて、うちの一丁目一番地、つまり一番得意とする旅モノ、ドキュメンタリーを国内でもっと太らせて、来年以降海外に出られるようになった時に、さらにいいものが作れるようにしたいな。
あとは、ディレクターになってから20年くらい、ずーっとアウトプットで頭の中のものを出しっぱなしだった。枯渇する寸前で「やべぇな~」と思ってたんだけど、昨年はインプットができた年だったから、今年はそれを整理する年にもしたいね。

Q 「整理」ですか?

A そう。今まで自分の得てきた知識、企画書の書き方とか構成の立て方とかね。それを一回整理して、ディレクター予備軍の若手社員に残していけるといいなーって。

Q ぜひよろしくお願いします!

A 脈々と受け継がれていくものが、メディア・ワンの力になっていくからね。
今は来年以降に向けてしっかりと土壌を作っておく年かなと思っていて、コロナ禍に負けずにホップステップジャンプのジャンプができる、「ステップの年」にしたいな。

Q そうですね、高く飛ぶためにはそれだけ準備も。

A しゃがまないとね。

*****

未曽有の状況が続く中、虎視眈々と、力強く高く「ジャンプ」する瞬間を狙っている奥村代表。我々社員も、コロナ禍に負けず頑張ってまいります。

2021年も、メディア・ワンをよろしくお願いいたします!

【コロナ禍】で考えた【映像の未来・2020年度版】

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの代表取締役、奥村健太です。
随分と、ブログ更新をサボってしまいました…申し訳ございません。

「コロナ禍」で大変な状況が続いていますか、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

海外ドキュメンタリーを「一丁目一番地」とする当社も、モロに影響を受けていまして、番組がいくつも「制作延期」となってしまいました…。もちろん、世界的な広がりをみせる「コロナ禍」が終息に向かえば、直ちに「取材」「編集」「仕上げ」で「放送」できるように準備をしてはいます。とはいえ「延期」になった番組が一斉に「GO!」となると、それはそれで大変な事態なので、綿密な人繰りとシミュレーションを行っているところです。


(写真は2020年度入社式です。)

さて…。

「緊急事態宣言!」
「ロックダウン!」

などと物騒な文言がニュースを駆け巡り、新聞紙上を賑わせていますが、新たな年度がはじまった今日は「コロナ禍」で考えた「映像の未来」について記してみたいと思います。

新型コロナウイルス感染症については、「事態を甘く考えすぎ!」「それよりも経済優先!」…など人によって様々な考え方がありますので、そのこと自体には触れません。

しかし、「コロナ以前」と「コロナ以後」では、明らかに社会の在り方が変革すると考えています。最終的に「コロナ禍」が終息するのは、人類が集団で免疫を獲得するか、もしくはワクチンが開発されるかの、どちらかが成された場合のみですが、それがいつになるのかは誰にも分かりません。「ワクチンの開発には1年以上かかる」とも言われていますし、こと集団免疫の獲得については、それこそ何時になるのか…。数年かかるかもしれませんし、下手すると10年を超えるかもしれません。

こうなると、「コロナを倒す!」よりも「コロナと共存」する社会を考えたほうが良いかと。

今、世界各国はそれぞれ「鎖国」のような状況におかれています。人類が長年築き上げてきた叡智の結晶とも呼ぶべきEUの理念(「国境」=borderをなくす)が、国境封鎖であっという間に崩壊してしまい、それはそれでエラいことだなぁ、と思いますし、「コロナ」を防ぐための「関所」が、世界各地に設けられている現状は、「入り鉄砲に出女」…で有名な箱根関所が復活したかのようでもあります。

「関所」を物理的に超えることは、このグルーバル社会でも容易なことではなく、学業においても仕事においてもオンライン授業やテレワークなどが広がり、自宅で過ごす時間がこれまでより長くなる可能性は否定できません。

では、浮いた時間をどのように使うか…。
テレビを見たり、ユーチューブを見たり、オンデマンドのネット配信映像を見たり…もしくはゲームをする時間が増えるのかもしれません。とはいえ「コロナ禍」によって世界的な経済の低調が報じられる中、テレビCMやネット広告への企業の出稿も確実に減ると予想せざるを得ません。

これまで当社は、日本のテレビ局で放送されたり、国内の劇場で上映される映像作品の製作を中心に行ってきました。
しかし「関所」が復活して、物理的にも精神的にも人の動き、思考が阻害されている現在、逆にこの「関所」を超えてくる映像コンテンツが、世界中で求められていると考えます。

「誰が見ても感動する風景」
「誰が見ても共感することができる人物ドキュメンタリー」
「関所を軽々と超えていく、映像作品」

「コロナと共存」していく中で、この「BORDERLESS」な映像作品製作に邁進していく、これが「アフターコロナ」ではなく「コロナ共存」社会での、当社の役割だと信じて、活動して行こうと考えています。

以前のブログ記事でも書きましたが、日本の映像コンテンツ制作技術は世界でもトップクラス。世界中でロケのついでにたくさんのテレビ番組を見てきましたが、ホントのことです。その技術を余すところなく磨き、使った上での「映像コンテンツ」…どうぞ今年度もメディア・ワンの作品にご期待ください!

テレビ版2025年問題・世界の国境を歩いてみたら…の場合

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの代表取締役、奥村健太です。
急に寒くなったり暑くなったりと気候が安定しませんが、体調など崩されておりませんか?

さて。
今日はちょっと、ほんのちょっとだけ「テレビの将来」について考えてみたいと思います。
というのも、ここ最近、会社説明会(2019年度新卒採用はじまってます!)や講演などで、

「テレビって将来どうなるのでしょうか?」

と聞かれることが多くなってきました。
SNSや、週刊誌の見出しには「テレビ凋落」「テレビはオワコン」などの文字が踊ることも珍しくなくなり、寧ろそれをベースにして「テレビ」が語られることがほとんどとなっています。テレビを視聴する人の数が減り、それによって視聴率が下がり、広告出稿が減る、テレビ局の収入が減る、で、番組制作費が下がり、番組(コンテンツ)がつまらなくなって、更に視聴率が下がる(※以下繰り返し)という、俗にいう「負のスパイラル」です。

確かに日本人のテレビ視聴時間は減っていまして、総務省が大規模調査しているデータがこちら。

「平成28年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc262510.html

このデータをみると、テレビを見ている時間が最も長いのは60代以上だとわかります。テレビは年代が上がっていくにつれて視聴時間が長くなっていく傾向がありますね。ついでにネット利用については20代がもっとも多いことがみてとれます。個人的にびっくりしたのは、10代が新聞をほとんど読まなくなっていることですけどね。0.3分って、それ、触ってもいないってことですよね?テレビの将来よりも新聞の方が危ない気も。余談でした。

…ということを念頭においてテレビ番組の視聴者層を考えると、

■時間に余裕のある…(テレビをみる時間がある)
■しかも購買力のある…(CMを見て商品を買ってくれそう)
■60代以上!(視聴者区分でいえばM4、F4層)

が最大のボリュームゾーンであるということは、いうまでもありません。
拙書「映像メディアのプロになる!」(2010年発行)でもこの点に言及しておりますが、昨今のテレビ番組はM4F4層をターゲットにしたものが多いのも頷けます。
4月からはじまったBS11「世界の国境を歩いてみたら…」も例外ではなく、本格志向のオトナ、年配の方々に楽しんで頂けるような番組を目指しております(※こっそり宣伝)。

…なんですが、ここにテレビ版「2025年問題」が立ちはだかります。
社会保障の問題などで使われる用語ではありますが、簡単に説明すれば…

2025年の日本は、団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となります。
国民の30%が65歳以上、20%が75歳以上という、人類史上初の『超・超高齢社会』がやってくる、これが2025年問題です。

現在のテレビ視聴者層のメインである高齢者の方々が、歳を重ねて大往生されていく一方で、テレビを見る習慣のない層がどんどん増えていく…。高齢者の方々の購買力もどんどん落ちていくのは想像に難くありません。今の時代はもちろんだけど、2025年にテレビは一体どうなっちゃってるの?そんな時に高齢者「だけ」をターゲットにした番組を制作していて良いのだろうか?テレビマンであれば一度や二度は考えたことがある難題です。

実は、僕がテレビ番組を設計する(構成を書く、とも言います)時に一番重要視しているのがここです。
もちろん、視聴の最大ターゲットは高齢者であることは間違いありません。もうね、タレントさんたちがワーワーキャーキャーしてるだけの番組は見飽きちゃったんですよね、皆。そんな中で、僕たちが描こうとしている「本物」の世界、ドキュメンタリーを一番理解してくれるのが、この高齢者層であることは動かしがたい事実ですし。

ですが、それだけにとどまらず、同時に「おじいちゃんおばあちゃんと一緒に、孫の世代が見ても楽しめる番組」を目指すべき必要があると考えています。孫が「#国境ハンター、頑張れ!頑張れ!」と思わず応援したくなる番組、見終わったあとに「ベトナムとカンボジアの歴史というのはね…」「ねーねー、あれってどういう意味なの?」などと食卓の話題になるような番組、見終わったあとに「何か語りたくなる番組」…今ではほとんど死語になってしまった感のある「お茶の間」復活の一助になるような番組を目指すべきだと思うのです。僕がこれまで手がけてきた「封印された三蔵法師の謎」や「Earth Walker」などでもそうしてきましたし、実際にお孫さん、お子さんと一緒に見て頂けた方々も多かったようです。子どもたちからも手紙やメールがたくさん届いて、こっそりガッツポーズしたのを思い出しました。若年層が「テレビを見て面白かった」「あの番組を見て面白かった」という体験を持たずして、視聴習慣は生まれませんし、テレビというメディアのプレゼンスも決して高まることはないと考えています。

で、ここで冒頭の質問の答えです。

>「テレビって将来どうなるのでしょうか?」

広告宣伝媒体としてのテレビは決してなくなることはないと思います。テレビ以上に、「一度」に、「大量」に、「同時」に「同一内容」の情報を届けるメディアは今後も出てこないでしょうし、テレビを超えるものは存在し得ないと思います。

ですが、その中身=番組が、他メディア以上に高品質であるという保証はありません。若年層のネット視聴時間がテレビのそれより多いのは、ネットのコンテンツの方が面白いと感じているという、動かしがたい現実があるからです。われわれ番組の制作者は安易な映像コンテンツづくりではなく、「本物」、つまり誰でも楽しめる(誰でもわかるという意味ではありません)コンテンツをつくる努力を怠ってはいけないと考えています。「本物の番組」「本物の映像」を作ることができれば、市場は日本だけにとどまりませんし、そこには大きなビジネスチャンスも転がっています。いま「本物」を制作する能力、ノウハウを持つ制作者と制作会社はどんどん減っています。テレビ局に人材を派遣しているだけでは、ノウハウも蓄積されていきませんし、会社としての「戦闘力(制作力)」が上がることは決してありません。これを持つ集団、これを持とうと志向する集団は、今後間違いなく成長していくと思います。これだけは自信を持って良いのですが、日本の映像コンテンツ制作技術は世界でもトップクラスです。世界中でロケのついでにたくさんのテレビ番組を見てきましたが、これホント。

…ということで、
世界の国境を歩いみたら…
BS11にて毎週金曜日よる6時59分~(2時間近くあります)是非、ご覧ください。

BS11「世界の国境を歩いてみたら…」放送スタート!

おはようございます。
株式会社メディア・ワンの奥村健太です。
今日は4月6日(金)から放送がスタートした「世界の国境を歩いてみたら…」について書いてみようと思います。

この番組はうちとフリーピットという2社の制作協力で「BS11」という、あまり馴染みのない、ぶっちゃけて言えばあまり知られていないテレビ局での放送となっております。いわゆるNHK、フジテレビやTBS、テレビ朝日、日テレ、テレビ東京などの「既存のテレビ局」の「BS局」とは違って、家電量販店のビックカメラ系のテレビ局となります。民放連にも加盟していますし、東証一部上場企業でもあるんですよ。…知らなかった人、手を挙げて!!

まぁでも、この稿ではBS11の知名度について書きたいわけじゃありません。そんなことはどうでもよくて、よくある既存の地上波の海外ドキュメンタリー「風」の番組とは一線を画した番組(「世界の国境を…」)が、どうやって誕生したのかということを声を大にして言いたい!のです。そんなBS11だからこそ実現した番組、それがこの「世界の国境を歩いてみたら…」ということを強調しておきます。言い換えればこの番組はこの局でしかできない番組である、とも言えます。

実はBS11は今年、開局11周年を迎えます。
11チャンネルが11周年。
そりゃ、なにかやるでしょ。
大掛かりに、なにか仕掛けるでしょ。
いつやるの?11周年のいまでしょ、的な。
ってことで大々的に企画募集が行われました。相当数の企画書が集まったと聞いておりますが詳細は知りません。ですが、バラエティからドラマから情報番組からドキュメンタリーまで、それはそれはたくさんの企画書が集まったであろうことは想像に難くありません。そんな中、1次選考、2次選考、そして大プレゼン合戦(←ネーミング適当)を経て採択されたのが、この「世界の国境を歩いてみたら…」なのです。この企画選考の過程というのは、それだけで本が一冊書けるくらい面白いのですが、それはまた別の機会に…。

さて、この「世界の国境を歩いてみたら…」。
これまで「国境の近くの街に行く」とか「国境を越えてみる」という類の番組は色々とありましたが、これはただひたすらに「国境」を「歩く(走る、疾走る、船で行くも可)」番組です。歩いてみたら実際には何もないかもしれないけど、それをネタにしちゃおうという。演出過多のドキュメンタリー「風」の番組と一線を画し、また大上段に「国境」をイデオロギーとか領土問題という側面からシリアスに捉えるのでなく、のんびり国境を歩いてみたら何が見えてくるんだろうか…という、言ってみれば「緩い」つくりで番組ができないかな…、それがこの企画の出発点でもありました。でも「国境」をリアルに撮るという意味では、今まで見たことのなかったような光景や、小さな村の人々に出会いますし、またこれまで「地味そうだから」という観点からテレビ的に「ネタ」にされてこなかった場所がどんどん出てきます。これぞまさしく「国境リアルエンターテインメントドキュメンタリー」。僕自身これまで50ヶ国以上取材してきた経験がありますが、そんな僕でも「こんなん見たことないわ!おもしれー!」と思わず声に出してしまうことも。そう…「国境」には未知なる驚きがたくさん詰まっていたのです。

実は演出過多、ってひとくちに言っても様々な「演出」がありますが、そこに共通しているのは制作サイドの「恐れ」です。

もっと視聴者に説明しないと、分かりづらいんじゃないか?
もっと丁寧にテロップを入れないと、チャンネルを変えられちゃうんじゃないか?
もっとガンガン音楽を入れて、ノリノリに仕上げないと飽きられちゃうんじゃないか?
もっと面白くしないと盛り上がらなくて、視聴率が下がっちゃうんじゃないか?

…という「恐怖」。
そこには、視聴者に判断を委ねるとか、視聴者に考えてもらおうとか、そんな目線は存在しません。ただひたすらチャンネルを変えられないように、視聴者に派手な映像とテロップで刺激を与え続ける、そう、ちょうど流行りのスマホゲームのようでもありますね。画面を通じて提供されるのは「てんこ盛りで美味しそうに見える幕の内弁当」かもしれませんが、果たして本当に美味しいのかどうか。その答えは「世界の国境を歩いてみたら…」を見て考えて頂ければと思いますし、その答えとなるような番組を作りたい、それがこの番組誕生のきっかけ、原点です。フリーピット社の盟友・赤坂ディレクターとそこから企画を練り上げていきました。BS11というあまり知られていない局、実際に新聞のラテ欄(テレビ欄)では端っこの方に載っているという存在感。でもそんなラテ欄の端っこから「テレビに、映像に革命を起こしてやろうじゃないか!」、そんな心意気でスタッフ一同、頑張っております。番組を面白く見て頂き、その結果、視聴者にとってBS11というテレビ局の印象が、なんかちょっとこの局すげー!となり、このBS11っていうテレビ局、面白いな…となって貰えればこれ幸いです。一番嬉しいのは、たくさんの視聴者の方々に見てもらって「面白かったね!」「良い番組だった」と言っていただくことですけれども。

この番組のナレーションを担当して頂くのはピエール瀧さん。しゃべる分量は必要最小限にしてありまして、基本的には出演者と取材対象者の同録でストーリーが進行していきます。ところどころピエール瀧さんのツッコミが入りますが、これが自分でいうのもなんですが面白いんですよ、いやホント。BGMもそれほどつけていません。説明しないとわからない歴史とか時代背景についてはテロップなどで補足していますが。旅人=#国境ハンターと一緒に旅をしているような、そんな番組を目指しています。

次回放送は【ベトナム×カンボジア】
4月13日(金)よる6時59分~(2時間近くあります)どうぞお楽しみに!
 

2018年度メディア・ワン始動!

おはようございます。
株式会社メディア・ワンのディレクター兼プロデューサー兼代表取締役の奥村健太です。
(※なんだろう、この肩書…)

ちょっと前の話になってしまうのですが、今年もちょいと派手に入社式を執り行いました。
今年度の新入社員は6名。
いわゆる派遣を専業とする「テレビ関係の会社」ではなく「制作会社」としては結構な数です。
(※ちなみに離職率が高いというわけではないです。むしろ業界では低い方。)

これだけの人数を採用できるということは、
それだけ「仕事」=「番組」が多いということなので、
経営者という立場から言えば有り難い反面、
もしその番組が打ち切り終了となった場合のリスクを考えると…。

社内での制作番組のために、大人数を抱えていることへの恐怖心は
制作会社のそれなりの立場の人間なら一度は味わったことがあると思うんですよね。

常に企画書を書いて、
常に企画を成立させて、
常に一定レベル以上のクオリティで番組を仕上げ、
常に制作費を回収して、
常に「給与」として利益を還元していく。

簡単なように見えて、結構大変。
で、その大変さを嫌って手っ取り早く売上を増やすには
「派遣」でテレビ局にスタッフを送り込むという方法があるんですけど、
右も左もわからない、ついこの間まで学生だったスタッフを
ろくに研修も受けさせないまま、テレビ局に放り込んでしまう。

受け入れ先のテレビ局も日々の業務(放送)があるわけですから、
同時並行でド新人たちの教育までやるのは、相当大変です。

加えて、昨今の「働き方改革」の波がテレビ業界まで押し寄せてきていまして、
完全シフトで、時間になったら「帰って!帰って!」の大合唱。
先輩ディレクターの取材についていく、
先輩ディレクターの編集を見て技を盗む、
なんてことは「長時間労働につながるからNG」、という恐ろしい状況が生じ始めています。
ADさんもディレクターになると長時間働かなくてはいけないからディレクターになりたくありません、なんて言い放つケースもあるという話もチラホラ。この辺の…「業界全体の足腰弱ってる感」が昨今のテレビ離れや、テレビつまんないよ!話に直結しているような気がしなくもありません。

テレビ番組制作のようなクリエイティブな仕事が、この「働き方改革」とどう向き合っていくかは業界全体の喫緊の課題ですので、このブログでも折りに触れて書いていきたいと思います。

まぁ、ちなみに僕が駆け出しのディレクターだった頃は、

「24時間仕事バカ」

じゃないと面白いものは作れませんでしたし、
人より「上」にはいけなかったものですけどね。
今は昔、ということにしておきましょう。

次回は、今年度から放送の始まった弊社制作協力番組についてです。
BS11「世界の国境を歩いてみたら…
ラテ欄の端っこから革命を!が今年度の社のテーマです。