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語られなかった東日本大震災 ~Episode 2~

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「仮設住宅を待つ人々」

宮城県仙台市から東に約50キロ、津波で壊滅した石巻市のさらに東にある、
牡鹿半島。 仮設住宅の建設現場を取材するため、仙台を車で出発した。

「ゴールデンウィークも休日返上で仮設住宅を作る現場」
という企画の取材。
仮設住宅建設は遅れているため、
GWも休みなしで急いで作らなければならないのが現状だ。

海岸に出たと思ったら、数分後には急な坂道をくねくね登り、
狸でも出そうな山道に入る。
石巻市から牡鹿までの細い1本道は、高低差が激しく、蛇行しているため
走りずらい。さらに、地震のためか至る所で道路や崖が崩れ、かなり危険だ。
がれき撤去や仮設住宅建設の重機が走るには、大変な苦労を伴うだろう。
そのためか、海岸沿いの開けた場所、おそらく集落だったところでは、
まるで津波直後のような状態で膨大ながれきが残っていて、
取材日は震災から2ヶ月近くになろうとしていた日だったが、
道路が通れる最低限の処理しかしていないようだった。

仮設住宅建設の遅れを、「政府や自治体の怠慢」理由に批判することは簡単だ。
が、なぜ遅れているのか、その地域の特性と照らし合わせて検証する放送は
ほとんど見たことがない。

そんな海沿いの集落の一つが上の写真の場所、
十八成浜(くぐなりはま)。

仮設住宅取材の帰り道に立ち寄ったこのガレキの山の集落で、
一人のおばあちゃんと出会った。

川端道子さん、79才。 川端さんはいわゆる2階族。
1階は津波にのまれ、骨組みしか残っていない。かろうじて2階部分は無事で、
そこに住み続けている。
下の写真が、川端さんの家。食事の配給先から、ガレキの道を通り抜け、
家に向かう。

泥を掻きだした跡が残る1階を進み、階段を苦労して上る。
電気も水道も通っていないこの半壊した家に住み続けるのは、
もちろん大変だし、危険だ。
大きい余震などあればきっと簡単に崩れてしまうだろう。
1ヶ月ほど前から仮設住宅を希望しているが、当選の報告は
まだないと言う。
この地区では、入居希望者数に対して仮設住宅の数が追いついておらず、
抽選で選ばれなければ入居できないことになっている。

生活、命が「運」に左右される現状。

取材日から3週間あまりが過ぎた。 あのおばあちゃんは無事だろうか。
電話連絡を取ることもできない。仮設住宅には移れたのだろうか。
そして、このような仮設住宅を待ちながら不安な毎日を過ごす人達は
まだまだ沢山いる。

文責:制作部 黒崎淳友

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