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コラム


語られなかった東日本大震災 ~Episode 20~

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『震災から1年~将来を担う若者たち~』

「僕は福島がまた好きになりました。」

先週、私の前でそう語ってくれたのは、
1年前、宮城県・石巻市で“1週間の災害ボランティア”に
参加していた、大学3年生の吉田剛士さん。


     ※右:石巻のボランティアに参加した吉田剛士さん)

彼は当時取材対象者の一人だったが、諸事情により実際の放送では
彼を取り上げることはできなかった。
しかし、私の中で彼は、印象に残る人物だった…。
それは、彼が福島県・いわき市出身であること。
実家が震災の被害を受けていたにも関わらず、
震災後すぐに災害ボランティアに参加していたからだ。
取材をしている時、彼は自分の故郷が被災しているということを感じさせないほど
黙々と民家のドロかきや炊き出しなどを積極的に行っていて、
むしろ、「そのことを明かしたくない」という思いがあるようだった。

そんな吉田さんが災害ボランティア参加したのは、
母親に言われたある一言がきっかけだった。
震災が起きて実家が心配になった吉田さんは、母親に連絡を取ったが、
電話口で母親から言われたのは

「こっちに来ても何も役立たない」

という意外な一言だった。
東京に出てきている彼にとって、今すぐでも福島に戻って、
何か役に立ちたいという思いがあったのに、その言葉によって、
何もできない無力感を感じたという。

「地元のために何かをしたい」

そんな思いが、ボランティアに参加する原動力となった。

こうして私は1年ぶりに吉田さんに連絡を取った。
震災から1年が経ち、活動を続けているのか?今の思いは?
改めて直接聞きたかったのだ。
さらに言えば、ボランティア減少が言われる中、
1年後の彼を通じて、災害ボランティアの現状、あり方、
そのようなものを見つめるきっかけにしたかったのである。


※1年後に会った吉田さん

以下、できるだけ彼の言葉をそのまま載せたいので、
QA方式でやりとりを記述する。

Q.石巻での災害ボランティア後はどんな活動をしたのか?
A.夏休み中に地元(福島・いわき市)や、岩手で足湯のボランティア活動をしていた。
地元のボランティアに参加した時、初めてリーダーを任せられて
依頼された民家に人を割り振ったり、継続して作業を行うかどうかなどの
交渉をする仕事をしていた。

Q.ボランティアをしていて印象に残ったことは?
A.地元の合同葬儀の手伝いをしたとき。
泥の中から見たことのある高校のアルバムが出てきて
知り合いの先輩のものと分かり、複雑な気持ちになった。


※福島の災害ボランティア

Q.一番嬉しかった出来事は?
A.リーダーを任されたが思うようにいかず落ち込んでいた時に
ボランティアに一緒に参加していたメンバーから
「和を大切にするリーダーだった」と後からメールを
もらった時は、やって良かったと感じた。

Q.ボランティア活動をしたことで変わったことは?
A.「自分がどれだけ人に支えられてきたか」ということに気がつき、
人を大切にするようになった。

Q.ボランティアを通して痛感したことは?
A.石巻でのボランティアが終わって感じたことは、
「何もできなかった」ように思う。
活動する前はそれなりに体力に自信があって参加したのに
実際の現場では泥が乗った一輪車を倒してしまうなど、
力仕事がまったく役に立たなかった。

Q.震災時と今ではどんな思いでいるのか?
A.将来が怖い。
原発事故を知らないまま原発の20km圏内にいた家族や友人が
事故が発覚するまでその近くで普通に生活をしていた。
そういう人たちが将来どうなるのか不安を感じる。

吉田さんは現在、就職活動中だ。
将来はマスコミ業界や食品メーカーなど、
「人に影響を与えられるような仕事がしたい」と言う。

震災から1年が経つ今、多くの若者たちの人生が変わった。
その中で吉田さんのようにボランティアを通してたくさんの人に出会い、
体験したことは今後の社会にどのように貢献していくのだろうか。
私はそこにとても興味がある。

帰り際、吉田さんはこんなことを語った。

「福島がまた好きになりました。
一人前の人になって福島にまた戻りたい」

 

文責:制作部 高橋早苗

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