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コラム


語られなかった東日本大震災 ~Episode 16~

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『ボランティアは、人が行うし、人が受け入れる』

3.11の東日本大震災が起こって1ヵ月が経ったころ、
新聞に「県外ボランティア受け入れ拒否」という記事が載った。
道路環境の設備が整わないことや、食料の確保が行き届かないなどが
理由として挙げられていた。

そのときから私は、被災者側、そして
支援をする側でどういう思いがあるのか、
興味を持った。

ちょうどその時期、災害ボランティアに一週間参加する大学生に
密着することになり、ディレクターとともに宮城県・石巻市に向かった。
石巻市は海沿いを中心に津波に襲われ、多くの命が失われた場所だ。

取材の場所は石巻専修大学。
そこは、災害ボランティアセンターの拠点になっていた。
震災からわずか5日後にセンターが設置され、
いち早く県外ボランティアを受け入れた場所だった。

学生ボランティアたちは、大学のグラウンドでテント暮らしをしながら、
炊き出しや民家などのドロかきなど、連日作業を行った。


(学生ボランティアが寝泊まりしていたテント)

石巻市の4月はまだ、真冬と変わらないほど寒かった。
また強風でテントがグチャグチャに倒れてしまうことも。
夜になれば真っ暗になり、カメラライト一つで取材した。

学生ボランティアに密着して4日目。
民家でドロかき作業を終えた学生が、民家の持ち主から、
「明日も作業をお願いします」と声をかけられていた。
学生は「はい、明日もまた来ます」と答えた。
しかし、次の日、その家に学生が行くことは叶わなかった。

「公平性を保つため」
被災地では、ある一つの家が、毎日ボランティアを希望してくる
ケースが少なくない。
しかし、ある特定の家だけにボランティアの手が集中することは
公平性を欠くため、避けられていた。
人手が足りていない方に、配分される。こうしてバランスがはかられていた。
だから、例えある家の作業が一日で終わらなくても、
希望して次の日まで作業することは、なかなかできないのだ。

「なぜ、また作業ができないんですか」

「作業が終わっていないのに止めなければならないなんて、
ボランティアって偽善ですか?」

学生たちがカメラの前でこぼした声。

私はその言葉に何も答えることができなかった。

一週間ボランティアも終盤へ。
学生たちは疲れた表情を見せながらも、日ごとに新しく出会う
被災者たちの前で明るく、積極的に声をかけた。
「あんたたちがいて、助かったわ」と話す被災者の表情も、
被災後とは思えないくらい素敵な笑顔だった。

ボランティア作業は、泥かきや炊き出しで具体的に被災者を支援することが
一義的な目的だ。
しかし、作業とは別の要素が確実にある。
それは、“人と人とが関わりあうこと”だ。

私の目には、被災者も、そして学生ボランティア達も、
「継続」を望んでいるように見えた。

被災者側、そして支援する側双方を取材して思ったこと。
復興へと歩みを進める街に必要なのは、
撤去作業や物資や仮設住宅やお金だけではない。
それらをつなぐ、人なのだと感じている。

文責:制作部 高橋早苗

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