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語られなかった東日本大震災 ~Episode 11~

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『いつか聞ける日まで』

6月11日。
震災から3か月が経ちました。
区切りとも感じる日付。
しかしー

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今日から2か月前の4月11日。
僕は、宮城県南三陸町戸倉地区にいました。
南三陸町の中心部から離れた小さな避難所で、
避難民がどのように震災から1か月を迎えるのか気になり
取材地として選びました。

戸倉地区で避難所となっているお寺では、
30畳ほどの本堂に、40人もの人が寝泊まりしていました。
震災から1か月たったその日でも
ひとり1畳もない、窮屈な環境。
僕は、そこで黙祷をする数人の被災者と
地震発生2時46分の時刻を迎えていました。

寺に間もなく戻ってきた
浅黒い骨格のいい中年の男性。
取材で来ていたよそ者の僕には、目もくれません。
彼は帰ってきた途端、一升瓶を手にとりました。
僕は、その男性に話しかけてみることにしました。
震災から1か月経った今、何を思うのかー
2時46分はどこで何をしていたかー
よそ者が急に来て、“何を気安く話しているのか”と
いわんばかりの視線を感じた僕は、
席をたとうとすると、か細い声を耳にしました。

「どこにもいない」

震災後、奥さんが見つからないこと。
そして、あの日からこの避難所に戻ってくるまで
何日も何箇所もの遺体安置所を回ってきたこと。

今まで回った体育館に
布で覆われた物体、そこの空間の冷たさ、
震災前、ここで過ごした暮らしの豊かさを
僕に話してくれました。

しかし、胸中には取材を進めたいテレビディレクターとしての葛藤と、
聞いてあげたいヒトとしての道理を併せ持ってー
よそ者はよそ者なりにちゃんと聞くことができただろうか。
この自問を持っていることをとても情けなく思っています。
それ以来、持ち続けたモヤモヤを
この場で綴る事で少し晴らさせて下さい。

彼が目から流した優しさの分、
僕の肩と、その瓶は軽くなっていました。

震災から1か月ということは、その男性にとってみれば、
奥さんの行方を探し続けている長い道のりでしかないのです。
その長い道を前に進むことに必要なのが、
酒であり、聞いてくれる人だったのかもしれません。
どんな姿であれ、奥さんの姿をひと目見ることができれば
あのか細い声をゴツい男性から聞くことはなくなるでしょう。

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そうこう被災地へ行き来している最中、
ビンラディン暗殺のニュースが飛び込んできました。
そして、僕は9.11の遺族に取材に行くことにー

その遺族の自宅には、
アメリカ政府から受け取った骨壷らしき箱がありました。
しかし、開けることのできないその箱には、
遺骨は入っていないのです。
その遺族の方は、
大切な人が入っていない箱はただの慰めにすぎない、
そうおっしゃっていました。
遺族ではない僕らからすれば、
なんで10年経った今でも骨壷を家に置いているだろう
なんという安直な考えになってしまいます。
時間という区切りではなく、あの面影を待ちわびる人にとっては
慰めの箱なんかでは埋葬できないということなのかもしれません。

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震災で大切な人が安否不明のままの人。
思いがけない事件で大切な人を亡くした人。
その方々にとって、「日付」は、区切りではないのだなぁと思うのです。

彼らは、1か月、10年も探し続けているのです。

いつか、酒の入っていない彼から
太い声でこの震災のことを聞ける日まで
僕は通い続けたいと思います。

文責:制作部 佐々木将人

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