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投稿日時: 2016-01-04 10:00:00




 2015年度入社 制作部
 放送芸術科 卒業


小林祐介


『極彩色』


私が映像業界に足を踏み入れ、早2年。

 

バラエティ番組や情報番組、ドラマなど

ジャンルを問わず数々の番組を経験してきたうえで、

さらに、スキルアップを図るため違った現場も見てみたい。

 

狠里蕕覆きことが山ほどあることを知っていた私は、

アテもなくただがむしゃらになっていた。

 

ディレクターに言われることを淡々と済ませる毎日。

本当にそれでいいのだろうかと、悩みながらテープを運ぶ日常。

 

言ってみれば、モノクロな世界にいる私にとって、

狠里蕕覆きことを狠里覘ために見てみたい景色。

きっと辿り着く、カラフルな世界。

 

気づけば前線を退き、途方に暮れる。

現状に満足できず、それを打破できなかった私は、番組を離れたのだ。

こんなんじゃなかったと自問自答する日々が続いた。

 

そんなとき、私が映像業界に足を踏み入れる以前から

憧れていたディレクターと出会う。

不意打ちのごとく、予想もしなかった人生の転換期。

それから半年…

たくさんの狠里蕕覆きを教えていただき、狠里覘うちに


「うちの会社くる?」


そのお話を断る理由がなかった私は、迷わずに返答。

「是非、お世話になりたく存じます!」

憧れていた人と一緒に働けるなんて思ってもみなかった。

 

不幸に舞い降りてきた幸。

 

この一瞬の追い風にのって、臆することなく進む。

築いてきた過去なんて振り返る暇はない。

 

現状に甘えず行動を起こす。今から躊躇する必要はない。

踏み出す。なんて生ぬるい水に浸かっていないで、飛び出せ。

 

飛び込んだ先は、極めて鮮やかに彩られる。

 

「もっと…」を常に求め追い続ける。

私はいつでも、なんでもできる準備をこっそり始めている。


投稿日時: 2013-04-22 00:00:00



2013年度入社 制作部
総合情報学部 総合情報学科 卒業


渡邊 将好





「熟(う)れる」




『2013年3月31日、午後9時過ぎ』

僕は、明日の入社準備を終え、
ベッドに横たわりながらボケーッとスマホをいじっていた。

明日からは社会人。
少なからずは緊張していたものの、
シャワーも浴びて、とてもリラックスした状態だった。

と、その時…
「トゥルルル…」

突然、大音量で電話が鳴った。

かけてきたのは明日からお世話になるベテランディレクター。
携帯を落としそうになりながら、慌てて電話に出る。

「お疲れ様ですー。明日のことなんだけど、
朝本社に来てもらったら、そのあとロケについて行ってもらうから!」
「!?… はい、分かりました…。」
「じゃあ明日よろしくねー!ガチャッ」

一方的に電話が切られた。
あまりにも突然のことだった…。

「ロケではどんなことをするのだろう」
「ちゃんと現場で動けるのだろうか」
「ミスして怒られたら嫌だなぁ…」

こんなことが頭をぐるぐる回り始め、
さっきまでのリラックスしていた空気が一転、
「緊張」と「不安」が徐々に僕を襲ってきた。



『2013年4月1日 午後3時過ぎ 上野・国立科学博物館』

結局朝方まで寝つけず、寝不足のまま迎えた入社当日。
お昼過ぎに「初めての現場」に僕は立っていた。

撮影スタッフが次々と合流し、 見慣れない機材がどんどん運び込まれてくる。

「ちょっとホワイトとる(白色を正確に白く映し出すように補正する)から そこの椅子に座って!」
「カメラの位置バミって(出演者や機材の位置をテープで印を付ける)おこうか?」

撮影の準備が始まると、
他の人の後ろに付いていくことだけで精一杯。
聞きなれない言葉が次々と飛び交う。

実を言うと、僕は大学で映像関係の講義を履修し、
撮影に関する基礎知識などを学んでいた。

(弊社メディア・ワンが東洋大学で産学協同で行っている
「総合メディア講座http://media-program.sblo.jp/の一期生で、
藤原社長と奥村ディレクターの「一番弟子」なんです!)

だが、初めての現場で大学での知識は上手く発揮されず、
忙しく進む時間の中、ただ見ていることしかできなかった。
初めてのロケで痛感した自分の「未熟さ」。


「最初よりは少し気配りできるようになったんじゃない?」

撮影終了後、駐車場から出ようとするロケ車のため、
門を開けに走った僕を見てプロデューサーが一言そう告げた。
到着したときは気が付かなかったことだった。
それをプロデューサーは評価してくれたのだろう。

周りのことをよく観察し、常に自分の出来得ることを考える力。
それが自らを“熟していく”ためには必要となる。
この業界に1歩でも足を踏み入れたからには、
眼前に広がる現場を、瞬きもせず見続けたい。

いつか自らが“熟す”その時まで。


投稿日時: 2013-04-21 23:30:30


  2012年度入社 制作部

  Film/TV Department 途中退学

 土方 翔太

 

 

 



If not



——2011年12月 アメリカ・カリフォルニア州−—
 
「俺、大学を辞めて日本へ帰る。日本で仕事を探すわ」
 
迷い抜いた末の苦渋の決断。
留学生活を送っていた僕は、
8,000キロ以上離れた高知に住む母に電話口でそう告げた。
「残念やけど仕方ないね」と、
僕の留学を誰よりも応援してくれていた母は静かに同意した。
 
「チャップリン(※1)のような映画監督になってやる」
 
その決断からさかのぼること2年8ヶ月前。
僕は大きな夢を頂いて、高校卒業後すぐにアメリカへとやってきた。
入学当初は、映画学科に通いながら、
学生仲間達と自主短編映画をいくつか制作するなど、
劇映画の世界にどっぷり浸かっていた。
 
そんな僕が報道やドキュメンタリーに興味を持ったきっかけが、
アメリカでも大きく伝えられた東日本大震災だった。
“現実に起こっている映像の力”を痛感した僕は、
放送学科が評判のサンフランシスコの大学への編入も考え始めた。
 
しかし、その矢先、諸事情で翌年度の授業料が支払えなくなってしまい、
卒業まで1年を残し、帰国することになってしまったのだった。
 
「どうしても映像業界に携わりたい」
 
そう思い、すぐさま日本にある映像制作会社を探し始めた。
帰国までは残すところ4ヶ月あまり…。
 

−—2012年4月 東京——
 
突然の「就職活動」だったが、
帰国までにある制作会社の面接の約束にまでなんとかこぎつけていた。
それがメディア・ワンとの出会いだ。
 
学校に退学届を出し、部屋も家具も全て引き払っての帰国。
採用されるにしろされないにしろ、
アメリカに戻るつもりはない。
戻るお金もなかったというのが実情だが…。
初めは帰国に反対していた当時の彼女(台湾からの留学生)も、
その頃にはすっかり日本での就職を応援してくれるようになっていた。
 
高校まで高知にいた僕にとって
修学旅行などで数える程しか訪れた事のない 「日本の中心」。
桜はまさに満開の頃。
だが、久々に見る美しい桜に目を向ける余裕なんて全くない。
東京という「都会の砂漠」にぽつんと一人。
通勤ラッシュ時の東京駅では30分以上もさまよったりもした。
 
ガチガチに緊張していた面接では
映像への想いをうまく話せず、「失敗したな」と後悔していたが、
その後に嬉しい一報が…。
 
「来週からウチで働ける?」
 
面接を担当したディレクターからの電話。
このチャンスを逃すべからず!!
“かなり”急ではあったが言われた通り、次の週には働ける環境を整えねば…。
しかし、困ったことに当時の僕には家具を買うお金もなければ、
東京のどこに部屋を借れればいいかという土地勘も全くない。
 
そこで力を貸してくれたのがメディア・ワンの先輩たちだった。
部屋探しには先輩ADが休日返上で同行。
面接をしてくれたディレクターもFacebook上で
僕のために要らない家具を譲ってほしいと呼びかけてくれた。


 ——2012年5月——
 
入社から1ヶ月。
杉並区に借りたアパートの部屋を見渡すと、
冷蔵庫、洗濯機、食器棚、電子レンジ、本棚、こたつ、食器などなど。
驚くことに家財道具はほぼ一式揃っていた。
(ちなみに写真で僕の横にあるのは譲ってもらった電子レンジ)
見ず知らずの僕のために色々なものを譲ってくれた方々には、
今でも感謝の気持ちでいっぱいです!!
 
“進み続けなさい。あなたが期待していたことが、 偶然につかめるでしょう。
 座ったままで、偶然にチャンスを見つけたという話は
これまで私は聞いたことがない。”《チャールズ・チャップリン》
 
あの電話で母に「大学を辞めて日本で働く」と言わなければ…。
面接をしてくれたディレクターが僕に興味を示してくれなければ…。
 
考えるときりがないくらいのIf not
そんないくつもの偶然がなければ、
今頃、僕はどこで何をしているのだろうか。
 
僕は、現在某局のニュース番組にいる。
アメリカで監督なるという夢は挫折したが、
希望通りの「報道の世界」に辿り着いた。
尊敬するチャップリンとは少し違った形だが、
彼のように社会問題を世の中に問題提起させるような映像家を目指し、
「進み続けていく」。
 
それが夢を現実にする唯一の手段なのだから。
 
 
※1 チャールズ・チャップリン(1889-1977)皆さん、ご存知だと思いますが、イギリス生まれの「喜劇王」。代表作は『黄金狂時代』『モダン・タイムス』『独裁者』など。俳優としてはもちろん、製作、監督、脚本、そして自らの映画のために作曲、バレエの振り付けまでも担った。


投稿日時: 2012-04-01 00:00:00

2012年度入社 制作部

放送芸術科卒業 

内藤 広駿

 


「O.A後の快感を求めて」

高校時代から「テレビの現場で働きたいな〜」という憧れを抱いて
専門学校に進学・卒業後、情報番組の制作現場に飛び込んだ。
ただ、どんな事にも理想と現実のギャップはあるもので、
それはテレビの仕事も例外ではない。

コンビニに行く暇もなく多忙なディレクターのタバコの買い出しから、
スタジオでのカンペ出しまでやる事は山ほどあるし、
仕事が終わる時間も遅いことも多い。
正直、嫌になる事もしばしばだ(といってしまうとこのページを読んでいる
学生さんたちを脅すことになりやしないか心配だが)。

それでもこの業界で仕事を続けている理由は、
やはり一度味わってしまうと忘れることのできない快感がそこにあるからだろう。

僕は毎週10分ほどのVTRを制作するコーナーのADをしているのだが、
10分のVTRを作るのに一体どれだけエネルギーを費やす事か、
思い返すだけで気分が悪くなってしまう。

それでもスタジオの出演者が自分たちの作ったVTRを観て感心していたり、
大笑いしていたりするのを見ると顔が勝手にニヤニヤしてしまう。
気づくとそれまでのしんどい疲れも気持ちの良い疲労感に変わっている。

これがあるからテレビの仕事はやめられない。
O.A後の気持ちいい疲労感を求めて、今日も僕は自分のすべきAD業務に励む。


投稿日時: 2010-05-03 03:45:00

2010年度入社 制作部   『 ”人”と出会える場所 』

 国際関係学部国際報道学科卒業

高橋 早苗

 「ビデオカメラに向かって、ポーズをする子供たち・・・」
大学時代にパプアニューギニア、タイを訪れ、現地の子供たちを撮影した。
日本語も英語も通じない国で子供たちと交流するきっかけを与えてくれたのが
“ビデオカメラ”だった。
太陽のような笑顔で微笑んでくる子供たち。
しかし、その裏側には貧困、差別、教育問題など
様々な問題を抱えながら生活する子供たちの存在を知った。

マスコミ業界に入って、1年が経ちました。
この業界はやはりキツイと思うこともよくあります。
しかし、それ以上に人と人がこんなにもコミュニケーションがとれる仕事って
他にはないように思います。
「テレビ番組を作ろう」と思えば、取材相手、カメラマン、ディレクター、ADと
たくさんの人たちと関わりながら仕事をします。
例えば・・・
カメラを持ちながら、通りすがりの人に「これは○○○ですか」
と尋ねれば、たくさんの面白い答えが出てきます。
そうした、人たちとコミュニケーションをとる度に“発見”、“感動”、“疑問”が生まれ、
「どんなことを映像として、伝えられるか」ということを考えます。
常にたくさんの人たちと出会い、考えながらこれからも映像を作っていきたいです。

皆さんも是非、人と人が出会える現場で一緒に働いてみませんか?


投稿日時: 2009-05-03 04:00:00

  2009年度入社 制作部

  『矜持にかけて』

 University of North Texas, Radio/TV/Film 卒業

 菅原 主済

 
 

今この文章を読んでいただいている皆さんは
「矜持」という言葉をご存知でしょうか。

ご存知の方は、
もう一度深くこの言葉について考えてみてください。
ご存知で無い方は、
辞書を引く前に読み方や意味を推測してみてください。

そしてその意味をしっかりと受け止められる人にこそ、
どうか私たちの仲間になってほしいと考えています。


投稿日時: 2008-05-03 04:20:00

  2008年度入社 制作部

  『ただ一つの夢』

  国際関係学部国際報道学科卒業

  何 祖杰




国と国の間に、人為的な国境線があります。
私はその線を越え、中国から日本に来ました。
父母兄弟と離れている私には、唯一の夢があります。
映像を通して異文化交流をしたいのです。

私の力は小さいですが、映像の力は大きいです。
平和な未来のため、努力して、
映像を通して人間、自然、歴史などを見つめて行きたいのです。

新しいことばかり出てくるこの業界に、
いつでも何でも対応できる仲間たちがいます。
みんな寝られなくても常に笑顔でいます。

私の夢にゴールはない。私も常に笑顔で頑張って行きたい。


投稿日時: 2008-05-03 04:15:00

  2008年度入社 制作部

  『爐覆辞瓩鯆匹さ瓩瓩董

 社会学部メディア社会学科卒業

 小島 典浩ディレクター

 



「…こんなことやって何になるんだ?」

僕の目の前には路上生活をする老人が一人。
デジカメを回していた僕は、思わずカメラのスイッチを消しかけた。
何を言ったらよいかわからず、ただ笑うだけの僕。
僕と彼の間に立っているデジカメに身を任せて、撮影を続けていった。

僕はなぜここにいるんだろう。
なぜカメラを回しているんだろう。
なぜ、彼のことを撮りたいと思ったんだろう。

*************************************************************************
学生時代に映画制作をしていると、いろんな障壁にぶち当たると思います。
学業やサークル、アルバイトに費やす時間もあって活動できないとか。

撮影は出来ても編集が出来ないとか、それが出来ても上映ができないとか。
そういった意味では映像制作との両立は難しいかもしれません。

ただ「映像制作をしたい」と思っているのであれば学生だからと言って
遠慮するべきではないし、逆に学生だからこそできることもあります。
それを経験しなければ分かり得なかった事柄も出てくることでしょう。

そして映像制作に関する「なぜ…?」を発見してほしいと思います。

例えば、
カメラを持たないと「なぜこの対象物を撮影したいと思ったのか」、
編集ソフトを操作しないと「なぜこのカットが必要だと思ったのか」、
企画書を書かなければ「なぜこの企画を映画にしたいと思ったのか」考えられません。

これらの問いの答えは頭だけでは導き出せないものです。
実際に経験をして、悩んで、それでも諦めずに制作し続けていれば
それが答えになりますし、自信にもなることは間違いありません。


投稿日時: 2007-05-03 04:45:00

  2007年度入社 制作部

  『VTRの質』

  音響設計学科卒業

 杉井 真一ディレクター



皆さんが想像されている通り、報道という仕事は秒を争うものです。
それでも、OA時間に間に合わずVTRが出ない、
そんなことは今までの経験ではありません。
誰が担当しようが、なんとかVTRという形にしてOAする。
それが最低限のラインという考え方です。

では、何が担当している人によって変わってくるか。
それは『VTRの質』ではないかと思います。

例えば、何か大きな事件や事故が発生した場合、
一日で100本以上のテープが送られてくることがあります。
その中でより生々しい目撃者の話を探す。
より視聴者に訴えかけられる映像を見つけ出す。
それをOAまでの短い時間の中でどう効率的にやれるか。
それによって『VTRの質』が大きく変わってきます。

報道の仕事は決して楽なものではありません。
時間という大きなプレッシャーの中で、
間違いを犯さないよう常に緊張した状態が必要です。

けれども、自分が探したり、選んだりしたものがOAされる。
OA後の緊張感が解かれた後にじわりと出てくる満足感。
それはこの仕事でしか味わえないものだと思います。

この『満足感』を共有したい方、是非この厳しくも楽しい業界へどうぞ!


投稿日時: 2007-05-03 04:30:00

2007年度入社 制作部

『いつまでも真剣に人と向き合い続けたい』

アジア太平洋学部卒業

佐々木 将人ディレクター



ドキュメンタリー制作志望でメディア・ワンに入社を決意しました。
しかし、真剣に人と向き合うことができれば、
ドラマでもCMでもその媒体は関係ないのではないかと今は思っています。

私がこの業界を仕事にした理由は、
大学で所属していたドキュメンタリー制作ゼミで
田舎町の町おこしを追っていたときのことにきっけとなっています。
大の大人がイベントの進行を巡って壮絶な議論を繰り広げているのです。
その光景を見た僕は、頭のてっぺんをビリビリとした刺激が走ったのです。
僕の知らないところでこんな真剣に生きている人が世界に溢れていると思うと
これからの人生を、取材した方々のように、
熱く人とぶつかり続けるしかないじゃないかと思ったのです。

きついと言われている仕事を長く走っているうちに
脳にエンドルフィンが分泌されて気持ちよくなると確信しています。
僕は、この厳しい業界に就職したからには
ゴールテープを思いっきり駆け抜けたいと思います。


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