media-1

コラム


語られなかった東日本大震災 ~Episode 5~

Pocket
このエントリーを Google ブックマーク に追加

『被災地の光と影』

連日、東日本大震災を取り上げるメディア。

メディアに携わる者として、
被災地で取材していると、ある区別があるということ。

それは、
全国に知らされる場所・人と
誰にも知られない場所・人という区別。

3.11以降、”南三陸”、”陸前高田”という地名を
聞かない日はありません。

3.11以前は、どこにあるかも知らなかった土地を
津波被害が激しく目に焼きつき、
そこに住む人には物語があるという理由で
僕らメディアはニュースの宝庫のように取り上げます。

一方で

被災地をめぐった中には、
映像的にも被害が見えにくく、かつ地理的に不便な場所で、
遺族でもなく、傷を負っていないように見える人々もいます。

そこで出会ったのは、
要介護4、寝たきりの女性、73歳と
軽い認知症の男性、72歳の2人の老夫婦。
いわゆる老老介護。
自宅は、震災の影響で、医者がいなくなった
宮城県気仙沼市本吉地区の穏やかな山奥にあります。

津波の被害はなく、ガレキとは無縁の世界。
被災した気仙沼市と言われなければ
よくある田舎の介護風景にしか見えません。

僕が訪れた4月中旬、
水道はもちろん、電気も復旧していません。
そのため、介護用ベッドやエアクッションは使えないため
背中には、じょくそう(=床ずれ)を発症。
症状が悪化すると、死に至ることもあるのです。
しかし、病院は近くにないのです。

支援が集まりだした気仙沼中心部の病院とは打って変わって
こうした在宅でじっと耐える患者もいるのです。
救命に忙殺されている病院の看護師には
「症状が悪化したら、救急車を呼んでください」と言われたことも。

普段でさえ、過酷な在宅介護。

山奥で派手な津波被害がないその生活に

メディアが来ることはなかったのです。

メディアに携わる者として、
僕らが前者を選ぶのは至極当然のことかもしれません。

僕ら伝える側の人間が代弁しきれない
場所や人がこの震災の中に埋もれています。

「これだけ惨いぞ、この現場
これだけ悲しいぞ、この人」

というインパクトではなく

「普通の風景の中にも
気に留めなかったあの人の言葉にも」

という透視のような眼差し。

この眼差しこそ、この震災を伝える上で
大事なことだと思ったのです。

僕は3.11以後の取材において
この眼差しを怠っていたのでないか。

僕は、この大震災をインパクトの獲物として受け取るのみで
そこに住む人の生活を伝えきれてない。
まだまだこの震災の本性を伝え切れていないのではないか、
そう思うのです。

大きなことを大きく見せるのは、映像を見れば十分です。

小さなことを小さいことと捉えている
自分の未熟さを身にしみて感じています。

文責:制作部 佐々木将人

 

映像メディアのプロになる!ブログ版

コラム